突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 明治編

突っ込まざるを得ない記事シリーズも5回目になりますが、今回は明治時代の琉球新報から選りすぐり?の記事を掲載します。当時の新聞をチェックすると雑報として地域のニュースが報じられていて、これがなかなか面白く不覚にもブログ主ははまってしまいました。その中から無駄に文章がうまく、なおかつツッコミどころ満載の記事を書き写しましたので読者の皆さん是非ご参照ください。

親不孝者

●不届者 首里當の藏村大里の向ふに德村某と云ふ三十二、三位ひの男あり父某は五十の坂を越し髪に霜置く老体なるに德村はこれを養ふ事もせす別居して獨り気儘に暮し金あるときは酒に耽りて父にも時々無法を云ひかけ幾度か警察署へ説諭を願ひ出てられ懇々説諭を加へらたれとも今以て改心の模様なしと云ふ

引用:明治27年12月16日付琉球新報3面

現存する最古の琉球新報からの書き写しですが、古今東西どこにでも親不孝は存在する証拠になりましょうか。興味深いのは徳村某の父親が事の次第を警察に相談していることで、当時の警察は治安維持の外にも地域の生活相談窓口の役割も果していたことが伺えます。

色狂い

● 雇女の隱家は芝居なり 那覇字泊の與那嶺カメと云へる娘は當年取つて十七歲の花盛りにて顏さへ美しく人目につく程なれは親の慾目には小町楊貴妃にも勝りて見しなるへしたれは虫つかぬ間に禮義作法を見習はせて玉の輿にも乘らせむものと那覇の或る曆々たる家に奉公せしめたる有りかたき親の心は子知らす此娘或日主人に伴はれて辻端道なる仲毛(ナカモー)演劇を見物したる時女形役者某といへる美少年を見染めてしより朝夕も思ふ男の顏のみ目にちらつき何事にも手につかす禮義作法を習ふ事はソツチのけにして思案を凝したる上終に一計を案し出し或夜大膽(だいたん)にも主人の衣類數枚を持ち出し密に主家を逃け出し其儘仲毛劇場に赴き兼て知れる仝劇塲の下女某は劇塲の隣に住めるを奇貨とし强て仝居を求めたる上に主家より持出來れる衣類の中一、二枚をは某に與へて先つ其の欵心を賈て置き次第に其手引に依りて男に逢はむとの巧にて二、三日も仝家に潜伏し居り未た思を遂けさる内に悲しや主人の探知する所とてりて無理に仝家を引すり出されて劇塲迄も騷かしたるは四、五日前の事なりと那覇小僧よりの投書あり

引用:明治31年12月15日付琉球新報3面

大雑把に説明すると、與那嶺カメさん(当時17歳)が礼儀作法(花嫁修業か?)の取得のため那覇のとある場所へ奉公している際に、主人と共に観戦した美少年の芝居役者に一目ぼれして、思いを遂げようと勤め先から衣類を拝借して脱走、芝居小屋の下女に自宅に無理強いして泊まり込み美少年にアタックを試みようとするも主人に無理やり連れ戻されたという内容です。現代でいえばストーカーの行為そのもので、100年以上前の御先祖様も現代人もおバカのやることは変わらないなと突っ込まざるを得ません。

蓋し鬼神も泣く

○○秘訣 男女たのしみ草紙 ●●

晝入頗美本郵税共十八錢切手代用一割増

實に是れ愉快至極世間在來の有名無實瞞着者に非ず晝中の眞味は蓋し鬼神も泣く目錄略す

美人寫眞添物進呈 此廣告切拔に限る

賣捌元 大阪市西區千秋橋北詰辻入 明文社

引用:明治31年6月5日付琉球新報4面

明治時代の良い子が読んではいけない(と思われる)草紙の広告ですが、「この広告を切り抜くと美人写真がおまけで付いてくる」という触れ込みがツボにはまってしまいました。現代にも通ずるキャッチコピーでブログ主は不覚にも「明文社」を検索したのは内緒でお願いします(残念ながら現存していません)。

洋物

奇形嬌態 裸体美人 寫眞 寸法堅六寸横四寸從來の寫眞なきに非らさるも皆西洋の婦人にして未た日本美人の 裸体 を寫眞せしなし本舘此に美衡(びこう)奬勵の目的を以て美人の裸体を寫眞する事三十種或は湯上り或は風呂塲等千差萬別艶姿嬌情(きょうじょう)極秘を發(あば)き眞を寫して粹珍(すいちん)の珍あれは世の才子佳人月雪花に飽きて徒然の夕枕頭徐に之を繙けば 翠帳紅閨(すいちょうこうけい) 春海の如く夢魂漂渺(ひょうひょう)宛然仙界に遊ぶの思あらん

定價 十枚一枚四十錢廿枚一組●十銭卅枚一組壹圓郵税十枚毎に四錢爲替は高麗橋局切手代用は一割増

専賣大坂内本町二丁目 芳文舘寫眞部

引用:明治31年5月11日付琉球新報4面

ただ単に明治時代の日本人も”洋物”が好きだったんだと突っ込まざるを得ません。なお広告文が実に読ませる文章で、その才能がうらやましいなとブログ主は思った次第です。(終わり)

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