りうきうの自警団

(続き)今回は昭和40年(1965)4月16日、勝連松島料亭街で起こった殺人事件に関して、ちょうどいい機会なのでアメリカ世時代の「自警団」について言及します。

続きを読む

勝連城跡の謎 – 交易

前回の記事において、阿麻和利時代に港として利用されていたとされる “浜川” を拠点とした外洋貿易は無理であると述べましたが、今回はその理由について言及します。

続きを読む

“きちがいに刃もの”

のたとえのとおりしりょぶんめつのないものが刃ものを持つと危険このうえない。勝連村の松島料亭街を凶器を持って襲った暴力団員たちも思慮の全くない一種のきちがいというべきで、あのような惨事をひきおこした(下略)

続きを読む

勝連城跡の謎 – 航海

前回の記事において、勝連城跡で使用された瓦は船で輸送された可能性について言及しました。では「どこから持ってきたのか?」を考察する前に、16世紀以前の勝連における海運について考察します。

続きを読む

【2025年】りうきうの逸材 – 後藤葵季(興南2年)

今回から複数回にかけて新二年生の逸材を紹介しますが、初めに紹介したいのが “いかにも興南の左腕” の好投手、後藤葵季くん(興南2年)です。この投手はとにかく打ち辛い、後から球が飛んでくる錯覚の左腕はブログ主も始めた見た感があります。

とはいっても投球スタイルはオーソドックスで、ストレートでも変化球でもカウント稼げますし、右打者・左打者の苦手もなさそうです。しかも去年秋は120㌔前半と聞いていた球速が、アベレージ120㌔後半、最速132㌔までアップしていました。新2年生としては申し分ないレベルですので、読者のみなさん、是非ご参照ください。

続きを読む

勝連城跡の謎 – 瓦

これまで「おもろさうし」から見た勝連の実力について考察してきましたが、それはあくまで中城や越来との比較であって、古代社会における勝連半島の地域が経済的に貧相だった裏付けにはなりません。その傍証として勝連城跡からの出土品から、それなりの財力を備えていたことが分かります。

続きを読む

独立芸人と二つの心

そういえば先月27日は「沖縄県」が設置された “琉球処分” の日ですが、例年この日の前後あたり、SNS上で「日本の植民地的支配が云々」を唱える輩がちらほら見かけます。

続きを読む

「おもろさうし」から見た勝連の実力(五)

前回の記事において、「勝連は、何にか譬へる(以下略)」は祭式オモロであった可能性について言及しましたが、今回はこのオモロを唱えた人物について考察します。ちなみに「おもろさうし」では題字と唄(オモロ)の関連性が謎めいており、「なぜこのオモロにこんな題字がついたのだろう」と思わざるを得ないオモロが多数ありますが、そのあたりの限界を考慮した上で、「作者」について考察します。

続きを読む

中部の考察

歴史の史料をチェックすると、その時代ごとの「区分け」があることに気が付きます。古りうきう時代の「北山・中山・南山」が代表例ですが、「おもろさうし」では首里を起点として「上」「下」との区分けがありましたし、現代でも「山原・中頭・島尻」という表記で区分けします。

続きを読む