【高校野球】俺が調子に乗って第54回招待試合について語ってみよう エナジック編

前回の記事において、6月7日に行われた東洋大姫路と沖尚との試合について言及しましたが、今回は同日第2試合のエナジック戦についても触れておきます。ちなみにこの試合は11-5でエナジックは大敗を喫してしまいますが、ブログ主は現地観戦で初めてエナジックの “酷い試合” を目の当たりにして、変な感慨を覚えた次第です。

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マスコミの堕落

前回の記事において、昭和42年の記事や新聞倫理綱要を引用しましたが、新聞記者は国民の知る権利を全うすべく、高い倫理意識をもって業務に励まなければならない職種であることがわかります。そしてその “使命感” こそが他の職種との違いともいえますが、興味深いのは使命感だけでは新聞記者はやっていけない側面があるという事実です。

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新聞が育てる未来の人と国

ここ数日ブログ主は、忙しい中時間をつくってアメリカ世時代の史料をチェックしていますが、その中に興味深いコラムを見つけましたので全文を紹介します。50年前のコラムなので若干読みづらいところはありますが、当時の新聞記者たちの “矜持” が伺える貴重な内容になっています。

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ディストピアりうきう

今回は(前回の記事の)番外編として、アメリカ世時代の ”レベルの高さ” について言及します。ブログ主は前回の記事において「そして現代人から見るとアメリカ世は “ディストピア” に感じるかもしれませんが、ブログ主はこの手の間抜けが大量繁殖していたアメリカ世をどうしても嫌いにはなれない」と述べましたが、だからといってこの時代への転生はおことわりしますの一言しか言えません。

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琉球住民と刃物(2)

前回の記事において、アメリカ世時代の傷害事件の一例を紹介しました。それを踏まえて昭和40年4月16日の勝連村松島料亭街での殺傷事件について振り返ってみると、刃物による傷害事件が多発していた同時期においてもこの事件は “異常” の扱いを受けています。

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沖縄はなぜ “復帰” したのか

今回は、当運営ブログの趣旨に少し反するかもしれませんが、ブログ主個人の経験から、我が沖縄がなぜ日本に復帰したかについて言及します。

昭和の世代には経験あるかもしれませんが、戦前を生きたオジー・オバーたちに「沖縄はなぜ日本に復帰したの?」と聞くと「沖縄は日本だからさー」と回答されたことありませんか。そして「沖縄戦であんなに酷い目にあったにもかかわらず、なぜ沖縄は日本に復帰したのさ?」と聞くと、困った表情をしながら「沖縄は日本だからさー」と答えます。

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琉球住民と刃物(1)

昭和40年(1965)4月16日深夜、勝連松島料亭街で発生した殺人事件に絡んで、これまで自警団の歴史について言及しました。今回からアメリカ世における「刃物による刺傷事件の多発」について言及します。

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深夜パトロール同行記

那覇署は〔昭和37年8月〕4日午後11時から旧盆を前にしての防犯取り締まりと、特飲街の実態調査に乗りだした。初日の4日は、杉原総務課長、照屋外勤係長、外間巡査部長ら総勢およそ20人、明け方の5時まで盛り場の巡視を行った。

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勝連と自警団

前回の記事において、(現時点で)ブログ主が所持している史料を基に、アメリカ世時代の自警団の歴史について言及しました。ここで強調しておきたいのは、自警団はあくまで地元側の要請が不可欠であり、那覇派やコザ派のアシバーたちが勝手に「作りたい」といっても出来ない代物であることです。

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4.27 屈辱の日

既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、先月27日投開票のうるま市長選挙において無所属で自民・公明が推薦した現職の中村正人氏が新人2人を抑えて2度目の当選を果たしました。

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りうきうの自警団

(続き)今回は昭和40年(1965)4月16日、勝連松島料亭街で起こった殺人事件に関して、ちょうどいい機会なのでアメリカ世時代の「自警団」について言及します。

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勝連城跡の謎 – 交易

前回の記事において、阿麻和利時代に港として利用されていたとされる “浜川” を拠点とした外洋貿易は無理であると述べましたが、今回はその理由について言及します。

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“きちがいに刃もの”

のたとえのとおりしりょぶんめつのないものが刃ものを持つと危険このうえない。勝連村の松島料亭街を凶器を持って襲った暴力団員たちも思慮の全くない一種のきちがいというべきで、あのような惨事をひきおこした(下略)

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