検証・県知事選9.13 ■堕ちた偶像 その3

既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、昨日(29日)は玉城デニー知事の退任セレモニーが無事終わり、そして本日(30日)は古謝玄太新知事が県庁に初登庁しました。ちなみに県知事選後はあれこれ物騒な噂が飛び交ってましたが、古謝県政初日が無事終わってほっとしているブログ主であります。

今回の県知事選で、ブログ主は早い段階から玉城デニー氏の敗北(というか勝負にならない)を予想してました。もちろん理由はいろいろありますが、県知事選ウォッチャーのなかでおそらくブログ主だけが「那覇市長選」の動向を注視しており、(前回と違って)那覇市政野党とオール沖縄が那覇市長選に対して積極的に動いておらず、それどころが社会大衆党と立憲民主党が現職(知念覚市長)の推薦を決定した時点で、デニー氏のぼろ負けを確信しました。

参考までに那覇市政の歴史を軽く振り返ってみると、那覇市は昭和43(1968)の那覇市長選から平成12年(2000)まで32年間の革新市政が続いたのはよく知られています。ただしその流れが一変したのが翁長雄志氏の登場で、かれが平成12年(2000)に初当選すると、3期連続14年間市長を務めます。つまり那覇は革新市政から一気に保守市政に転換した時期があるのです。

ご存じの通り、翁長雄志氏は平成26年(2014)に県知事に就任し、那覇市はオール沖縄が推す城間幹子氏が(翁長氏の後継者として)2期市長を務めますが、彼女は3期目には挑まず、知念さんに後を託す形で引退します。ちなみに彼女が引退した理由はおそらく「辺野古新基地反対運動と市政は両立しない」と考えたからであり、すなわち知念覚さんは城間市長(当時)から “那覇市政だけ” 引き継ぎます。

誤解を恐れずにハッキリいうと、2000年代の翁長市政時代に戻したわけです。

ちなみに城間幹子さんの判断は先見の明がありありで、知念市長就任後の那覇市政は辺野古新基地反対運動から距離を置くことで、運動のごたごたに巻き込まれることなく、無事今日を迎えてます。まさに名護市と同じパターンであり、そんな知念市長を立憲民主党と社会大衆党が推薦することはハッキリいって矛盾もいいとこなんです。

あんたらのこれまでの政治姿勢は何だったの???

とツッコミたい気分ありありですが、つまり社大党も立民県連も「これ以上辺野古には関わりたくない」との意思表示そのものなのです。

なお、新聞記事にはもっともらしく「オール那覇」なんて書かれてますが、本音は

辺野古にかかわらない知念那覇市政ってホントいいなー

に決まってます。それでいて県知事選では(党の体裁を保つため)玉城デニー氏を支援しており、もちろんこんな連中に支援される候補者が勝てるわけがありません。これがブログ主が早期に玉城陣営の圧敗を予測できた主因の一つです。

最後に古謝県政の一期目を予測しますが、古謝知事は知念那覇市政で副市長を務めていたことは知られています。つまり「辺野古に関わらなければまともな政治ができる」ことを知っている人物であり、県政も同じパターンで運営すること間違いありません。そして4年後は県政野党は息もできないレベルで凋落しているのではと思いつつ、今回の記事を終えます。