廣告の利益

今回も太田朝敷関連の資料を掲載します。琉球新報は明治33年7月15日から紙面を大幅に改良しますが、その2日後に「広告の利益」と題打った社説を掲載します。ブログ主はこの論説を非常に重視していますが、その理由は琉球新報社が営利を意識して新聞を発行していたことがハッキリ分かるからです。

当時の沖縄社会は太田先生曰く「士族的気風」の弊害が社会の問題になりつつありました。士族的気風とは農民などかつての平民階級が学業を修めることで官吏や教師、あるいは医者といった士族的職業に殺到し、実業(商業、工業、農業や水産業など)を軽んじる社会的雰囲気のことで、この件に関しては太田先生も琉球新報の紙面で手厳しく批判しています。

特に”婦女子の業”として商業が一番軽んじられていた中で、琉球新報が啓蒙活動と営利のバランスを考えて新聞社を経営していたのはよくよく考えると驚異的ですらあります。その点が単なる言論活動であった『沖縄時論』との違いかなと思いますし、太田先生の先見性にはただただ驚くばかりであります。

実に実に残念なのは、この論説も『太田朝敷選集』には掲載されていません。もったいないにも程があるので、旧漢字を訂正しかつ句読点を追加した文章と原文を公開します。ただしブログ主にて原文中の欠字はできる限り補いましたが、判読不能の箇所は無理に当て字はせずに黒丸表記にしました。読者の皆さん、ぜひご参照ください。

広告の利益(旧漢字訂正及び句読点追加分)

今日文明諸国に刊行さるる所の諸新聞雑誌に於て広告欄の設けなきはなし。これ社の営利の為に設くるにあらず。畢竟世人に少なからざる便益あるを以てなり。広告の利益あり便利なるとは一度使用したる人は自知るべし。仮令一度使用したるものなりとも果して如何なる便益あるか精細に注意せざるより其便益の真価を知らざるものもあるべし。試しに左に其利を数へん。

一 商業家にとりては広告の利益最も大なり。商人が繁華熱閙(はんかねっせい)の場所を選んで其店を建設するは詰(つま)り其店の多くの人の目にとまるを欲するが為めなり。那覇区の中見世の前通り大門の前通り抔の家賃最も高く目下一坪に付五十銭乃至六七十銭とし裏通りを其半額即ち三十銭とすれば一戸の商店(大抵○○坪と仮定して)よりは一月六円一年にして七十円の差を生ずべし。この七十円の差は即ち広告料と云ふも不可なきなり。場所柄は仮令ひ表通りなりとも其店が人の目につくの範囲を単に通行人に止まるのみ。若しこの七十円の半額を割いて年々新聞紙に広告する時は県下至る所に知れ渡り、其新華客を導くこと決して少なからざるなり。数へ来れば其利益二三を以て数え尽すこと能はずと雖も要するに広告は人通り淋しき場所なりとも繁華熱閙の場と少なくとも同一の効力を有せしむるものなり。況んや熱閙の地にあるものをや。

二 広告に新聞を利用するのは最も経済なり。寒寸僻地にありては社会の組織極て単純なる故旅屋も小間物店も容易に知り得べけれど、一●の都会となれば総て復雑(=複雑)にして、たとひ其地の人に尋ねぬるも実に探り易からず。故に都会の地にては旅人宿なり料理屋なり雑貨店なり種々の方法を以て世に広告するを常とす。今其方法を見るに引札の如き貼紙の如き二三の手段を用れど其内最も効能あり且経済なるは新聞を利用するにあり。新聞を利用すれば印刷料も甚だ廉なる上配布の手数もなくして最も広く人の目に触れしむるの利益あり。

三 商工業家の如き華主の多ければ多き程随て利益ある、事業にとりて広告の必要なるは今更申すまでもなきことなり。この●に死亡、土地家屋の売買、集会、等の場合の如き損害の予防の如き新聞の広告が世人を益すること決して些少ならざるなり。

四 広告は一の雑報なり。少なくともこれにより以て社会の一隅を伺ふことを得るなり。細心注意してこれを見る時は少なからざる趣味を覚ゆるものなり。試みに前号の広告を展開せよ。織工場の決算報告に就ては其織物事業の概略を知るを得べく、平尾店の広告に就ては賈薬及煙草が如何に手広く行はるるか清酒の醸造元が如何に盛大なるかを想像するを得べく、其他煙草切の手伝に普通教育ある人物を募集するを見ては本県の教育が如何に進歩したるかを連想すべく、薬剤生の募集広告が一時に幾つも出てたるを見ては酷暑の●病人の多くなりたるにあらざるやを伺はしむべし。広告豈に無味乾燥の文字あらんや。●去り●来れば直接に受くる所の利益の外更に幾多の利益あるものなり。

五 世が進歩すれば進歩する程新聞紙の広告を多く利用せらるるものなり。アメリカ人は最も金儲けに●目なきものなるが同国新聞紙の広告代の高価なるは誠に驚くべきものなり。我輩精確の数は記憶せざれども其代価は一寸何円を以て計算するなり。之を要するに広告は単に当事者の利益なるのみならず併せて一般世人にも種々の便益を與ふるものなり。(明治33年7月17日付琉球新報2面)

廣告の利益(原文)

今日文明諸國に刊行さるゝ所の諸新聞雜誌に於て廣告欄の設けなきはなしこれ社の營利の爲に設くるにあらず畢竟世人に少なからさる便益あるを以てなり廣告の利益あり便利なりとは一度使用したる人は自知るへし縦令一度使用したるものなりとも果して如何なる便益あるか精細に注意せさるより其便益の眞價を知らさるものもあるへし試みに左に其利を數へん

一 商業家にとりては廣告の利益最も大なり商人が繁華熱閙の塲所を撰んで其店を建設するは詰り其店の多くの人の目にとまるを欲するか爲なり那覇區の中見世の前通り大門の前通り抔の家賃最も高く目下一坪に付五十錢乃至六七錢の相塲にして同所の附近なりとも裏通りになれは大凡そ其半値に下ると云ふ仮りに表通りの六十錢とし裏通りを其半値即ち三十錢とすれは一戸の商店(大抵○○坪と仮定して)よりは一月六圓一年にして七十圓の差を生すへしこの七十圓の差は即ち廣告料と云ふも不可なきなり塲所柄は縦令ひ表通りなりとも其店が人の目につくの範圍は單に通行人に止まるのみ若しこの七十圓の半額を割いて年々新聞紙に廣告する時は縣下至所に知れ渡り其新華客を導こと決して少なからさるなり數へ來れは其利益二三を以て數へ盡すこと能はすと雖も要するに廣告は表通り淋しき塲所なりとも繁華熱閙の塲と少なくとも同一の効力を有せしむるものなり況んや熱閙の地にあるものをや

二 廣告に新聞を利用するは最も經濟なり、寒寸僻地にありては社會の組織極て單純なる故旅屋も小間物店も容易に知り得べけれど一●の都會となれは總て復雜にしてたとひ其地の人に尋ぬるも實に援り易からす故に都會の地にては旅人宿なり料理屋なり雜貨店なり種々の方法を以て世に廣告するを常とす今其方法を見るに引札の如き貼紙の如き二三の手段を用れと其内最も効能あり且經濟なるは新聞を利用するにあり新聞を利用すれは印刷料も甚た廉なる上配布の手數もなくして最も廣く人の目に觸れしむるの利益あり

三 商工業家の如き華主の多けれは多き程随つて利益ある事業にとりて廣告の必要なるは今更申すまでもなきことなりこの●に死亡、土地家屋の賣賈、集會、等の塲合の如き損害の豫防の如き新聞紙の廣告か世人を益すること決して尠少ならさるなり

四 廣告は一の雜報なり少なくともこれにより以て社會の一隅を窺ふことを得るなり細心注意してこれを見る時は少なからさる趣味を覺ゆるものなり試みに前號の廣告を展閲せは織工塲の決算報告に就ては其織物事業の概略を知るを得へく平尾点の廣告に就ては賣藥及煙草か如何に手廣く行はるゝか清酒の醸造元が如何に盛大なるかを想像するを得へく其他煙草切の手傳に普通敎育ある人物を募集するを見ては本縣の敎育か如何に進歩したるかを連想すへく藥劑生の募集廣告か一時に幾つも出てたるを見ては酷暑の●病人の多くなりたるにあらさるやを窺はしむへし廣告豈に無味乾燥の文字ならんや●去り●來れは直接に受くる所の利益の外更に幾多の利益あるものなり

五 世が進歩すれは進歩する程新聞紙の廣告を多く利用せらるゝものなり亞米利加人は最も金儲けに●目なきものなるが同國新聞紙の廣告代の高價なるは誠に驚くへきものなり我輩精確の數は記憶せされども其代價は一寸何圓を以て計算するなり之を要するに廣告は單に當事者の利益なるのみならす併せて一般世人にも種々の便益を與ふるものなり(明治33年7月17日付琉球新報2面)

 

 

 

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