華麗な郷土博物館 – 戦前の首里城北殿のお話

昭和11(1936)年6月の新聞切り抜き集をチェックしている際に、偶然ですが首里城関連の記事を見つけました。首里城正殿が沖縄神社の拝殿として利用されたのはよく知られていますが、北殿が郷土博物館として改修されていた事実は初めて知りました。

大正および昭和初期の沖縄は欧州大戦(第一次世界大戦)後の不況の影響をもろにうけて、経済が不振に喘いでいた時期です。にもかかわらず1万1千円(今の価格では約2億円か)の工事費をかけて郷土資料館をオープンさせた事実は驚きの一言です。

この記事から当時の県人たちの郷土文化に対する熱い想いが伝わってきます。琉球王国の文化の本質は”王家および王族の文化”であり、人口の多数である百姓等の犠牲の下に成り立ったと言っても過言ではありません。戦前の人達、とくに識者はこの事実を知っていたこと間違いないのですが、それでも

先人たちが残した文化を自分たちの文化として継承しようとした

事実は重いの一言です。つまり”搾取の象徴”として十把一絡げ(じっぱひとからげ)に取り扱ったのではなく、次世代に残そうとした先輩たちの想いを無視することはできない、してはいけないとブログ主は思うのです(終わり)。

華麗な鄕土博物館 來る四日晴れの店開き

昭和會館で所藏品と舊家の出品 早くも人氣の陳列品

鄕土博物館は首里城北殿を修理してここに壯麗なる殿堂竣工!樹立かくれにとつ屹として甍聳え異彩を放つてゐるが目下島袋源一郎仲吉朝宏両氏を始め數名の人達が資料の陳列に取掛かつてゐて大體においてあすまでに陳列を終へ引つづき首里市の舊家名門を歷訪して所藏品の貸出しを依賴し愈々来る七月四日に落成式を兼ねて盛大なる開館式を擧行することになっているが開館の暁には大人十錢小人五錢學生生徒五錢、小學児童一錢、廿名以上團體は半額割引して一般に觀覧させる事になつている【寫眞は首里城北殿を改装した鄕土博物館】

鄕土博物館の建て坪は百卅坪、修理費七千圓、陳列ケース二千圓、内部造作の物品費其他雑費二千圓、計一萬一千圓の巨費を投じて竣工したもので甍落ち屋根傾いて荒廢していた北殿も面目を一新して莊重な外觀に内部は太い圓柱から天井にかけて全部珠塗りで華麗を誇つてゐる。目下陳列に掛かっているのは昭和會館所藏の分で廿二、三日と二日掛りで引つ越し廿四日から島袋氏等が汗だくで陳列しているのだが、之が約二千點、あすから始める。首里の舊家名門よりの陳列品を併せるとその貴重と豐富さにおいて鄕土の誇るべきものとならう。

陳列棚は建物とりつけの七ヶ所に高さ一丈から七尺の堂々たるもので、その他小陳列ケースや昭和會館から移したものが十數個に上つてゐる。陳列順序は第一列棚が舊藩〔歷〕代の本縣出身書家の書、第二棚が歷代冊封使の書、第三棚が舊藩歷代本縣出身画家の繪畫、第四棚が主として家具數棚、第五が古代琉球陶器、第六棚が琉球紅型、棚の下部には名家の紅型、第七棚が古琉球漆器、棚上には古琉球の衣服類で其他の陳列ケースには衣冠裝束とか支那陶器あるいは石器、瓦器、家具、古書を陳列し、北側廊下には南蛮瓶類を列べてある陳列取つけが始まつてからというものそこら一面にうづ高い貴重な物品を物珍らし氣に市内の老人達や縣社へ參拝のアヤー達が押し寄せ、小學児童もワンサと群がつて好奇の目を見張ってゐる。

(注)この新聞切り抜きには日付および新聞社名が未掲載も、昭和11年6月あたりと推定されます。面白いのは陳列棚の展示品の順番で、最初に「書」を持ってきたところが実に興味深い。つまり王国時代に最も尊重された文化は”書”であることを暗示しています。