【現代版】沖縄県民の最大欠点

いきなりですが、もしも現代社会に伊波普猷先生が降臨されたらこのような論文を掲載するのではと思いつき、調子に乗って書き下してみました。『古琉球』に掲載された『沖縄人の最大欠点』のパクリですが、現代沖縄県民の欠点を普猷先生風に指摘するとこのようになりました。是非ご参照ください。

沖縄県民の最大欠点は人種が違うということでもない。言語が違うということでもない。風俗が違うということでもない。習慣が違うということでもない。沖縄県民の最大欠点は自己を律することができない傾向があることである。沖縄は兎角ルールを順守できない県民性があるという噂を耳にすることがあるが、これはどうしても弁解しきれない大事実だと思う。自分も時々こういう傾向を持っていることを自覚して慙愧に堪えないことがある。

思うにこれは数百年来の境遇が然らしめたのであろう。沖縄においては古来主権者の更迭が頻繁であったために、生存せんがためには一日も早く旧主人のルールを忘れて新主人が作り出す秩序に遵う(ふりをするのが)気が利いているということになったのである。これにくわえて日支両帝国の間に介在していたので、自然二股号薬主義を取らなければならないようになったのである。

「上り太陽ど拝みゆる、下がり日や拝まぬ」という沖縄の俚諺(ことわざ)はよくこの辺りの消息をもたらしている。実に沖縄県民にとっては沖縄でどんな社会秩序が適用されようが、それは一種の方便として自己の都合よく解釈して生き抜かざるをえなかったのである。たとえばかつての日支両属時代には日本には日本の暦法を、清国には清国の暦法を利用することで王家を維持した経緯がある。

いわば琉球人は生存せんがためにいやいやながら娼婦主義を奉じなければならなかったのであるが、実にこういう存在は一種の悲惨なる存在というべきものであろう。この一種のご都合主義は沖縄県民の第二の天性となって深く深くその潜在意識に潜んでおる。これはただ沖縄県民の欠点中の最大なるものではあるまいか。

世にいうこういう種類の人ほど恐ろしいものはない、彼らは自己を律せないために利益のためには社会のルールを捻じ曲げる、都合よく解釈する、場合によっては平然と法を犯す。沖縄の近現代の選挙戦をみると一目瞭然ではないか。しかしこの傾向は沖縄人のみ所有するというわけではない。とにかく現代においては沖縄県民にして第一この大欠点をうめあわすことができないとしたら、沖縄県民は日本国民としても人類としても極々つまらない者である。

しからばこの大欠点をいかにして補ったらよかろうか。これ沖縄社会の研究すべき大問題である。「身を修め、家を整え、国治まる」は『大学』の強調するところであるが、現代の沖縄県民には「心をただし、身を修める」ことによって自己を律する精神を持ち合わせているのであろうか。自分のお腹に手を当てて、自己の健康を顧みることができない輩が「アイデンディディ」だの「中国の脅威」だの唱えても、このような不健全な状態は沖縄県民の最大欠点を増長させるばかりである。自分は当局者がこの辺りの事情を十二分に研究されることを切望する。

SNSでもご購読できます。