明治時代の衛生に関する県令・訓令

新型コロナウィルスに関連して、我が沖縄における医療・衛生の沿革をチェックしている際に明治31(1898)年4月の琉球新報に興味深い記事が掲載されていることに気が付きました。

今回は同年同月19日の県令(県知事が発した命令)、および28日の訓令(上級官庁が下級官庁に下す命令)全文を紹介します。ただし読者の便宜を図るべく、旧漢字を訂正および句読点を追加しました。是非ご参照ください。

沖繩縣訓令第七十號

郡区役所 / 島庁 / 警察署 / 警察分署 / 間切島役場

ペスト病は伝染病中最も畏るべき劇症にしてその一発生するに際しては伝染容易にして惨害至らざる所なく人命を傷(そこな)い生産を害し延(ひい)て国運の消長に影響を及ぼすこと実例に徴して明(あきらか)なり。今や孟買(ムンバイ)の流行益々猖獗(しょうけつ)を極め殆ど底止する処なきが如く、香港に於ては客冬(かくとう)鹿港(ルーガン)に発生以来漸く南北に蔓延し殊に憂ふべき病况を呈す。その有病地清国諸港に対しては已(すで)に海港検疫を施行するも本県の如き支那に台湾に僅に一衣帯水(いちいたいすい)を隔て且つ交通頻繁なる地に在てこれが予防を独り海港検疫にのみ憑(たの)むは未だ以て安すべき所にあらず。病毒は常に不潔物に因りて媒介せらるるを以て宜しく人心を警戒し清潔方法を励行し内外相応してその策を尽し始(はじめ)て予防の目的を達すべきなり。これに加えて目下東京福岡兵庫等の県に於て赤痢・虎列刺(コレラ)病発生し正に蔓延の虞あらんとす。故にこの際明治二十八年県令第十八号達清潔法施行規則を属行し家屋内外の掃除は勿論井戸下水等一層清潔の周到を期し就中(なかんずく)鉱山諸工場等多数の労働者ある場所には特に監督し密にし予防上災害を未萌に防止する等適当の措置を施し遺策(いさく)なき様致すべし。 / 明治三十一年四月廿八日 / 沖繩県知事男爵奈良原 繁

引用元:明治31年4月29日付琉球新報2面

おおまかに説明すると、海外および国内での伝染病蔓延に対応すべく港での検疫では不十分なので先に公布した清潔法の趣旨に則り感染対策を徹底するようにとの訓令です。この訓令には興味深い点が複数あって、それは

・県庁が国内外の伝染病の蔓延に対して相当神経を尖らせていること。

・県知事が直接民間あるいは所属官庁に対して命令を下していること。

の2点です。尚家が琉球諸島を支配していた期間は国内外の伝染病に関心があったかは不明ですし、国王が直接住民に衛生観念の改善を呼びかけた事例は(ブログ主が確認した限り)ひとつも見当たりません。明治期の沖縄県庁および政府が国防政策の一環として民間衛生の向上に極めて深い関心を持っていたことが分かります。

ちなみに当時の沖縄における衛生観念はお寒い限りで、ためしに下記県令をご参照ください。

沖繩縣令第十二號 不潔なる飲食物は衛生上有害あるのみならず往々伝染病伝播の媒介となるの虞あるに付、店先もしくは露店に陳列し又は行商する物品にして其儘(そのまま)食すべき(菓子・飴・砂糖・團子・餅酢・天麩羅・雜煮・煮豆・豆腐・鹽辛・温飩・蕎麥等の類)には蠅類又は塵埃を防ぐに足るべき適宜の覆蓋を設くべし。/ 明治三十一年四月十九日 / 沖縄県知事男爵奈良原 繁

引用元:明治31年04月19日付琉球新報1面

説明不要かと思われますが、当時の市場がどのような状態かはこれでお察しかと思われます。明治時代の琉球新報を参照して印象的なのは衛生面に関する記事が多く掲載されていることです。たとえばハブに噛まれたときの対処法とか、娼妓検査の結果、および性病患者の実況など紙面から民間における衛生観念をなんとか向上させたい強い意思がうかがえます。

それを考えると “医者ユタ” の俚諺がそのまま通用する社会から100年という長い時間をかけて世界屈指のハイレベルな衛生環境を実現した沖縄の先人たちの偉大さと、それゆえに我が沖縄県民は近現代の歴史の歩みに対してもっと自信を持つべきだと確信したブログ主であります(終わり)。

 

 

 

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