沖縄において旧革新勢力が健在な理由

10月22日の衆議院議員総選挙の結果、沖縄ではオール沖縄が推薦する候補が小選挙区4議席中3議席を獲得しました。全国レベルでは総議席数465のうち284議席を獲得した自民党の圧勝という結果ですが、我が沖縄県では依然旧革新勢力が健在です。とくに沖縄2区の照屋寛徳さんの強さは相変らずでした。

「なぜ沖縄ではサヨクが強いのか?」なんて質問をブログ主も何度か受けたことがあります。この場を借りてブログ主なりに沖縄で旧革新勢力が強い理由について歴史をさかのぼって説明します。是非はともかく、読者のみなさんご参照ください。

アメリカ軍の占領行政時代(1945~1972)を生きた人たちには、ある種の共通認識があります。これは当時刊行された書物、あるいは回顧録等を読んで気がついたことですが、それは当時の人たちは保守革新問わずに「われわれは第二次世界大戦の敗戦国民である」という劣等感が非常に強いことです。

以前当ブログで、戦後世代(アメリカ軍の占領行政に生まれた人たち)の被差別意識について言及しました。「戦争で失ったものを取り戻したい」という願望が被差別意識の根底にあると説明しましたが、この考えは敗戦国民としての悲哀をいやというほど味わった結果生じたものです。昭和47年(1972)の本土復帰によって、施政権が日本国に返還されても、沖縄県民が抱えている劣等感は完全に払拭されることはありませんでした。払拭されないかった理由の一つが、沖縄県に設置されている米軍基地の存在です(もう一つの理由は昭和天皇の行幸がなかったことですが、この点は後日説明します)。

米軍基地問題がなぜ拗れているかというと、アメリカ世を生きた人たちにとって米軍基地の存在は心中抱える劣等感をいやでも思い出さざるを得ないからです。基地問題の本質は土地問題ですが、実際には「感情の問題」になってしまっているから厄介なのです。このあたりのニュアンスを説明するのは本当に難しい。

問題は平成以降に生まれた世代が、米軍基地問題=感情の問題であることに気がついていないことです。彼らは生まれながらにして「冷戦の戦勝国民」であり「世界有数の経済大国」である日本国民です。本土に対しての被差別意識も劣等感もありません。そして在沖米軍基地の認識も180度違います。つまり「沖縄の米軍基地は冷戦の勝利に大きく貢献した存在で、現在の東アジア情勢を鑑みると必要不可欠の存在」と考えています。その考えがアメリカ世を生きた世代には実に気に食わない。

平成以降生まれの若手世代は、「国防の観点から米軍基地は必要」と遠慮なく主張します。それが戦後世代を必要以上に刺激してしまい、「あいつらはうちなーのこころをわかっていない」と頑なになる。その結果世代間のギャップが深刻極まりない状態になっているのが沖縄県の現状であって、現在の沖縄社会が抱える大きな亀裂になっています。

世代間の対立は別に珍しくもなく、通常は若手世代に軍配があがるのですが、沖縄の場合は1950年前後のベビーブーム時に生まれた世代が現在も健在で、しかも現在の少子化の流れと相まって社会に大きな影響力を保持しています。人口構成を見ると、若い世代が本当に少ないんですよね、その結果旧革新勢力の思想・信条を受け継ぐオール沖縄が現在でも一定の勢力を維持できているのです。

やはりアメリカ世の27年の影響は大きいですね。この点が他の46都道府県との違いで、それだけ敗戦国民としてのコンプレックスが本土の人よりはるかに強いのです。感情の問題だから対処が極めて難しい、ではどうするか?戦後世代が社会から引退するのを気長に待つしか方法がないと思いますし、ハッキリいってそれしか方法ありません。おそらくあと5年もすれば、オール沖縄の勢力は沖縄社会から激減すると予想でき、その日がくるまで地道に若い世代に支持を獲得するのが一番いい方法です。下手につついて“暴走老人”の状態に追い込むのが一番の愚策です。

歴史的に見ると、日清戦争前後の開化党と頑固党の対立に類似しているのですが、頑固党は子孫が思想・信条を受け継がなかったことで当時の沖縄社会からフェードアウトしていきます。そして現代の沖縄の旧革新勢力も同じルートと辿ると予想しています。だから現時点でオール沖縄の勢力が強力でも心配することはありませんし、近い将来オセロの目をひっくり返すように社会勢力が激減することがほぼ間違いない情勢で、彼らの言動にいちいち目くじらを立てる必要もありません。そんなところでエネルギーを消費するのは無駄の極みです。

長文になりましたが、ブログ主は上記のように説明します。読者の皆さんが納得するかどうかは別にして、沖縄社会の現状を理解するための助けになると大変ありがたいです(終わり)。

SNSでもご購読できます。