満韓旅行雑感(中)/ 中学生生徒 又吉康和

◎商業 彼等は商業上の取引甚だ巧なり。彼等は売値に二三倍も掛けるなり。彼等は非常に忍耐強く、性質よく、商業に適せるが如し。彼等は非常に信用を貴ぶ〔故に〕彼等に一度不信用せられたる日には最早それ迄(まで)なり。我が商人が彼等に対し信用薄きことを聞き甚だ遺憾に堪ざりき。

然して我が商人にして彼等を相手にして商売するものは皆無と云ふも敢て過言にあらざるべし。〔我が商人の商売は〕皆日本人向なり。若し彼等と競争せんと欲せば五万円以上の資本を要すべしと〔云ふ〕。彼等は又商標を重ず〔故に〕彼等は商標に必ず「老舗」と記せり。彼等の商業は甚だ復雜なりと〔云ふ〕。夫れ商業は複雑なるを要すべしと或人は〔語〕れり。

◎教育 学校は甚だ少し。余は奉天と昌図(遼寧省鉄嶺市昌図県)に於て見たるのみ。昌図の高初両等小学堂を〔見学〕せり。生徒百二十四名教師六名ありて学科は修身、経学、国文、算術、歴史、地理、格致、体操、品行に分(わけ)てり。教授法も日本に似せたり。彼等は日本語を話すことを喜べり。生徒の一人余に向ひて「あなた〔がたが〕御出になつて出迎ひもせず甚だ失礼しました」と云ふて、かつ「来年は東京で出るから兄の内に上るべし」と云へり。日本人と云へば皆東京人とのみ心得、〔ためしに〕余は琉球人なりと云ひ聞かせたれど更に(=全く)解せざり。余も又彼に二三の問をなしなどして彼れを末賴敷(すえたのもしき)青年と思ひ、又彼の成功を祈りぬ。なほ大連、京城などには日本人の建てし学校あり。されは神速なること実に驚くの外なし。

◎気候 寒暑共に甚だしく、冬は水氷(こお)り雪高く降り積もり、大連に於ては摂氏 0.24 度、昌図に於ては 0.30 度に下るよし。同じ夏に於てですら昼と夜とは大に異れり、昼は非常に熱く(沖縄より却て暑し)夜中よりは又急に寒く外套と毛布を重ねてもなほ寒さを覚えたり。朝顔洗ふ時には手の凍ゆる程なり。所謂純然たる大陸的気候なり。〔ただし〕「来て見れば聞くより〔低〕し富士の山、釈迦の孔子もかくやあるらん」で噂の如く健康を害することなし。空気は非常に乾燥せり、故に渇(かわき)を覚ゆること甚だしく、吾等常に水筒に水を入れて用意したり。シヤツ手拭を洗濯しても直ぐ乾きて使用することを得べし。なほ漆器の如きも支那向きのは其辺(そのあたり)に注意を要すと或る人は語られたり。

清国人の忍耐と勤勉とは実に驚くに堪(た)えたり。彼等は金の為には如何なる艱難をも忍ぶなり。所謂利己主義なり。一旦彼等の手に入れたる金は容易に使はず、彼等の倹約に至りては迚(とて)も我が国人の及ぶ所にあらず。然れども団体の事業に至〔り〕ては、なるべく免(まぬが)かれんと試むなり。余は大連に於て二十名ばかりにて大なる材木を運び行くを見たり。その内力を籠めて居るものは僅(わずか)半分ばかりにて他は只(ただ)手を触れて居〔る〕のみ。これ小事なれど国家の〔事〕に至りても同様なり。彼等は愛国心の念薄く、頑固にして進取の気象に乏しく、男子は鴉片(あへん)の吸烟を嗜めり。これ彼等をして堕落せしめる一大原因なる〔か〕。

男は辨髪にして大抵帽を戴けり。彼等に〔跣〕足(はだし)のものは殆んどなし。支那靴は頗る〔衛〕生に適せるよし。女は纏足の弊習あり。然しその風俗なりと聞きつれば靑●足(道より歩くのは普通の足多く)は却て異様に感〔じ〕たり。吾等の目より見てもなほ斯(かく)の如し、况や彼等に於てをや

◎日本人の勢力 余は日露戦争によりて日本の国力の長足の進歩をなしたるに驚きたり〔しが、〕満韓の地に於て日本人の勢力の盛大なるは更に一驚せざるを得ざりき。今や悲傪なる戦争の面影漸〔ようや〕くその跡を治めて、大連旅順より奉天昌図まで日本人の足跡の到らざる所なく、到る所に旭の御旗(=旭日旗)は翻(ひるがえり)りて吾等をして殆んど外国にあるを忘れしめたる程なりき。ああ壮なるや我が国威の〔盛〕大なる、嗚呼快なるや我が国民の勢力の強大なる、吾等は太陽が万国を照すが如く、我が国威を世界に輝かさんかな(明治39年9月21日付琉球新報1面)

SNSでもご購読できます。