続・ウクライナ問題の教訓

前回 “ウクライナ問題の教訓” と題した記事を配信しましたが、現在進行中のロシアとウクライナの係争はクリミア半島と黒海艦隊の帰属問題とは切り離せない部分がありますので、追記という形で記事をまとめてみました。

ご存じの通りウクライナはソビエト崩壊後の1991年に独立します。それに伴いクリミア半島もウクライナに属する形になりますが、1992年にクリミア議会はウクライナからの独立を決議します。ただしウクライナ側はもちろん独立は承認せず、ロシア側もクリミア独立を支援する力が不足していたため、最終的にはクリミア自治共和国としてウクライナに帰属します。

なぜクリミアが独立を決議したかというと、この地区は(ウクライナの中では例外的に)ロシア人の人口比率が高いからです(大雑把にいってロシア系5,ウクライナ2,その他1の比率)。だがしかしクリミアは水や電気といったインフラのほとんどをウクライナに依存していたため、最終的にはウクライナ領になったわけです。

領土問題はこれでクリアできましたが、もう一つ厄介なのが有名な “宙に浮いた黒海艦隊” の帰属問題です。この問題はロシアとウクライナとの間で交渉が行われた結果、1997年に艦隊の分割とセバストポリ軍港の使用権に関する協定が結ばれて、ロシア側は2017年まで同港を使用できるようになりました(黒海艦隊の地位及び駐留条件に関する分割協定)。

ウクライナにとって(いろいろ不満はあったでしょうが)クリミア半島に関わる2つの難問が解決できて、めでたしになるはずでしたが、その流れが激変したのが2004年のウクライナの政変(オレンジ革命)です。政権を掌握したユーシェンコ大統領はロシア側に2017年以降の黒海艦隊のセバストポリ軍港の使用を認めないと通告したのです。

これはロシア側にとって酷い話で、1997年の分割協定には2017年以降の5年間の自動更新オプションも付いていますし、はっきりいって2005年の時点でいきなり通告されても困るわけです。しかも政権与党が勝手に内ゲバを起こし、ユーシェンコ大統領がウクライナの民族意識を散々煽った影響もあって、国内ではウクライナ系とロシア系の民族対立が無視できないレベルになってしまったのです。

前回の記事でも言及したとおり、ウクライナ国民はユーシェンコ大統領のあまりの無能ぶりに呆れはてて2010年の選挙ではヤヌコービッチ氏を大統領に選出します。彼は就任後にロシアとの関係改善のため、黒海艦隊のセバストポリ軍港使用問題に決着をつけます。それがハリコフ合意(2010年4月21日)で、この条約によりロシア側は2042年まで同軍港を使用できるようになります(5年間の更新オプション付き)。

ただ、この合意はタイミングがあまりにも悪かったのです。ヤヌコービッチ氏が大統領に就任したのが2010年2月25日で、ハリコフ合意が同年4月21日です。つまり就任後すぐにロシアと合意を結んだため、彼は一部ウクライナ系住民から「国益を売り飛ばした」として売国奴扱いされたのです。しかも彼はウクライナ語が大の苦手で、それがウクライナ系住民の不評を買ってしまいます。

その後の経緯は割愛しますが、彼は2014年のウクライナ騒乱でロシアに亡命します。ハッキリ言ってこの案件はロシア系住民からしたら酷い話で、いくらヤヌコービッチ大統領が鳩山由紀夫クラスの無能であっても、選挙で選出した大統領を暴力まがいの抗議行動で追放していいのか(実際は逃亡)という怒りが、最終的にクリミア自治共和国の政変、およびロシアによるクリミア併合につながります。

そして2014年以降は、ロシアとウクライナそれぞれが原因と結果を引き起こす負のスパイラル状態に陥って事態は悪化し、今日のロシアの侵攻となるわけです。

独立後のウクライナの辿って来た道を振り返ることで導き出される教訓は “無能な政治家が民族意識を煽るとロクな結果にならない” この一言に尽きます。

別にどっかの県知事をバカにしているわけではありませんが、

両国の紛争は我々に貴重な教訓を与えている事実を直視すべきとブログ主は確信して今回の記事を終えます。

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