芋の葉露(田舎生活)- その2

(弐)那覇より半程も踏み出せば忽ち村落的の趣味を感ずるなり。本県の村落は他府県とは趣きを異にし、所謂地人(純粋の百姓)は多きは七八百戸、少なきも四五十戸一団となり殆んど町の体裁を形成せり。ただ居住人と称する那覇首里等より寄宿したる一種の農民は耕作の便宜を逐(お)ふてその住居を定むる故処々に散在せり。この有様は那覇近在より遠く国頭に至るまで少しも異なる所なし。

斯る形状なる故遠くより望見すれば、屋敷保〔護〕の樹木が三丁も四丁(約300~400㍍)もたち続いて恰も大樹の生茂りたる山林の観あり。処々〔に〕現はるる茅屋の屋根と炊煙が立ちのぼるを見てその村落なるを認むるならん。

村には前中後規則たちたる幹線の道路あり。それより村幾多の枝線を通ずるを常とす。併し村の位地に依りては随分不規則なるもあり。而して屋敷の囲ゐは竹と樹木なり。一村の内二三軒は立派な石垣にて囲ゐたるもの□□る、これ等は村中屈指の資産家なり。

家屋には三種あり、一を穴屋と云ひ、二をヌキ屋と云ひ、三を瓦屋と云ふ。穴屋とは掘建小屋の事にて、ヌキ屋とは通常の礎の上に建てられたる茅葺屋、瓦屋は市街の家と異なる事なし。何れの村も十中八九は穴屋を以て占め、ヌキ屋瓦屋は資産家にあらざれば建ること能はざるなり。

家の構へは穴屋より瓦家に至るまで近在により国頭に至るまで皆同様にして版でおしたるが如し。形ばかりの門を入れば突当りに見越の松と云へば洒落て居れども、衝立様に竹か月橘を植へ(石がよく産する所にては高さ四尺長さ六七尺位ひの一枚石を建てたるあり)、これにて一寸と往来の人目を遮ぎれり。中産以下のものはこの植込みの後ろに稲塚(いなづか)を建てるもの多し。稲塚は藁つきの籾を円錐形に積みたるものにして、大なるものは米にして二十俵位ひ小なるものも五六俵あり。これは種子用にも使ひ又米の飯を炊く必要あれば抜きとりて使用するなり。さてこの植込みの右方より入れば表座敷の庭に到り、左方より入れば台所に到るべし。表座敷とか台所とか庭とか云へば大さうらしけれども、穴屋にありては或は三間半に三間の母屋と三間四方の納屋と二棟続きのものが上等の部類に属し、軒の高さは五尺に足らず出入りもシャガンでする位ひにて、一間(六尺=約182㌢)若くは三尺(約91㌢)の窓には板はぎの戸がたてられたるは甚だ稀にして、先づ百中九十九までは竹で編みたるものなれば勿論鴨居閾(かもい・しきい)抔がある筈もなし。牀(ゆか)は丸竹を用ゐ(釘さへ使はず藁縄にて編む)、敷物には藁筵を敷き歩行く度に牀の竹が動いてその毎に〔音〕をたてる有様なり。庭と云ふても花卉の一本あるでなく、田舎の事なれば自然生の薔薇仏僧花抔一二輪の花をもてるを見るのみ。母屋納屋の外に門内在手の方に一つの小屋があること通常なり。これは物置及び家畜の小屋に充つ。物置と云ふも別に置くものはなく子供□が拾ひ来りたる枯木や農具又は蓑笠位ひなり。

母屋は大抵二間(8畳間ぐらい)となり、その隔ても多くは板を用ゐず矢張り竹細工にして閾とてはなく二本の丸竹にて挟み縄で縛り付けたるものなり。納屋は半部は竹牀半部は土間なり。此処は全部食堂兼台所兼婦女平素の居間と云ふべき所なり。これ穴屋中上等に属するものなれども、下等の小屋となれば三間(18畳間)の一棟にて台所も食堂も居間も寝室も仕事場も皆兼帯なり。(明治34年1月13日付琉球新報3面)

【原文】

那覇より半〔程〕も踏み出せば忽ち村落的の趣味を感ずるなり本縣の村落は他府縣とは〔趣〕を異にし所謂地人(生粋の百姓)は多きは七八百戸少なきも四五十戸一團となり殆んど町の体裁を形成せりたゞ居住人と稱する那覇〔首〕里等より寄宿したる一種の農民は耕作の便宜を逐ふ〔て〕その住居を定むす故處々に散在せりこの有樣は那覇近在より遠く國頭に至るまで少しも異なる所なし

斯る形状なる故遠くより望見すれば屋敷保〔護〕の樹木か三丁も四丁もたち續いて恰も大樹の生茂りたる山林の觀あり處々□現はるゝ茅屋の屋根と炊〔煙〕か立ちのぼるを見てその村落なるを認むるならん

村には前中〔後規則〕たちたる幹線の道路ありそれより村幾多の枝線を通するを常とす併し村の位地に依りては随分不規則なるものあり而して屋敷の圍ゐは竹と〔樹〕木なり一村の内二三軒は立派な石垣にて圍ゐたるもの□□るこれ等は村中屈指の資產家なり

家屋には三種あり一を穴屋と云ひ二をヌキ屋と云ひ三を瓦屋と云ふ穴屋とは掘立小屋の事にてヌキ屋とは通常の礎の上に建てられたる茅葺〔屋〕瓦屋は市街の家と異なる事なし何れの村も十中八九は穴屋を以て占めヌキ屋瓦屋は資產家にあらされば建ること能はさるなり

家の構へは穴屋より瓦屋に至るまで近在より國頭に至ま〔で〕皆同樣にして版〔を〕おしたるが如し形ばかりの門を入れは〔突〕當りに見越しの松と云へは洒落て居れとも衝立樣は竹か月橘を植へ(石がよく產する所にては高さ四尺長さ六七尺位ひの一枚石を立てたるあり)これにて一寸往來の目を遮〔ぎ〕れり中產以上のものはこの植込みの後ろに稲塚を建てるもの多し稲塚の藁つきの籾を圓錐形に積みたるものにして大なるものは米にして二十俵位ひ小なるものも五六俵はありこれは種子用にも使ひ又米の飯を炊く必要あれは抜きとりて使用するなりさてこの植込みの右方より入れは表座敷の庭に到り左方より入れは台所に到るべし表座敷とか台所とか庭とか云へは大さうらしけれども穴屋にありては或は三間半に三間の母屋と三間四方の納屋と二棟續きのものが上等の〔部類〕に屬し軒の高さは五尺に足らず出入りもシヤガンでする位ひにて一閒若くは二尺の窓に〔て〕板はぎの戸がたてられたるは甚だ稀にして先づ百中九十九までは竹で編みたるものなれば勿論鴨居閾抔があ〔る筈もなし〕牀は竹も用ゐ(釘さへ使はず〔藁〕繩にて編む)〔敷物〕には〔藁筵〕を敷〔き歩〕行く度に牀竹が動いてその〔度に□をたてる有樣なり〕庭と云ふても花卉□一本あるでなく田舎の事なれは自然生の薔薇佛僧花抔に一二輪の花をもてるを見るのみ母屋納屋の外に門内在手の側に一つの小屋あること通常なりこれは物〔置〕及び家畜の小屋に充つ物置と云ふも別に置くものはなく子供□か拾ひ〔來り〕たる枯木や農具又は簔笠位ひなり

母屋は大抵二間となりその隔ても多くは板を用ゐ〔ず〕矢張り竹細工にして閾とてはなく二本の□竹にて挟み繩で縛り付けたるものなり納屋は半部は竹牀半部は土間なり此處は全部食堂兼臺所兼婦女平素の居間と云ふべき所なりこれ穴屋の中上等に屬するものなれとも下等の小屋となれば三間の一棟にて臺所も食堂も居間も寐室も仕事塲も皆兼帶なり

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