50年前の琉球住民に説明しても、誰も信じてくれないことで打線を組んでみた

今回は50年前(昭和45年)にタイムスリップしたと仮定して、当時の琉球住民たちに「50年後はこうなっている」と説明しても信じてくれない出来事で打線を組んでみました。

当然ブログ主は当時を体験していませんが、その前後の新聞その他史料については数多く参照してきましたので、その情報を元に記事を作成しました。ちなみに50年前は復帰2年前ですので沖縄県民ではなく “琉球住民” の表記を利用しています。読者のみなさん是非ご参照ください。

1番サード:犯罪発生率が異常に低い(スリや性犯罪のシーズンがない)。

2番ショート:暴力団が衰頽している。

3番キャッチャー:人民党系列の政党(共産党)が資本家(かねひでグループ)と組んで選挙活動を行う。

4番ピッチャー:アメラジアンが県知事になる。

5番ライト:高校野球の甲子園大会で春夏連覇をしたチームが出現する。

6番セカンド:毎年東京大学への合格者がでても誰も驚かない。

7番ファースト:革新共闘会議(現オールおきなわ会議)主催のデモ参加者がオジーオバーばかりになる。しかも新聞社などマスコミがデモを仕切っている。

8番レフト:宮古、八重山、および大島出身者が普通に地域社会に溶け込んで誰も気にしない。

9番センター:(旧)美里村の吉原特飲街や宜野湾市真栄原、および(旧)コザ市街が完全にさびれてしまった。

補欠:国政選挙において “茶髪の立候補者” が現れる。

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