今回は昭和44年(1969)2月28日、北中城村屋宜原で発生した「少女行方不明事件」に関連する記事を紹介します。この事件は事件発生から2週間後あたりに、容疑者が逮捕されましたが、犯行動機や手口、そしてなにより「沖縄青年」が起こした事件として当時の社会を震撼させました。
今回紹介する記事は、同年3月16日の子供向けニュースと、風刺絵ですが、これだけでも復帰前後の殺伐とした社会情勢が読み取れます。しかも記事内で「みなさんも、つねひごろから、正しい人間として、胸をはって生きられるように心がけるとともに(以下略)」とありますが、にもかかわらず同年11月10日の沖縄ゼネストで警察官が過激派学生に虐殺されたあたり、当時を生きた若い人たちの行動様式は現代人には理解不能だなと痛感します。
ためしの記事全文をご参照ください。ただし事件の被害者と加害者は一部伏字に、そしてブログ主判断で注釈を追記しました。なお、この事件は昭和48年(1973)9月に刊行された「偉大なる祖国アメリカ」(佐木隆三著)のモデルとなった事件として知られています。
沖縄青年※1:事件当初の目撃談から「白人男性」の犯行が疑われていた。実際に安田容疑者は米国人白人男性と琉球住民の母とのハーフであり、その後母は離婚、そしてフィリピン系米軍人と再婚したが、彼は父との折り合いが悪く、家庭環境は決して良くなかったとされる。
つれ去って殺したあと、スーツケースの中に死体をいれ、、借りてきた車で読谷の山の中に運んで埋めたのです※2。:死体を入れ、借りて来た車で…のあとの安田の行動が一部すっぽり抜けているが、ここから先の行動は言語道断の内容のため意図的にカットした可能性あり。
ケダモノのような行動※3:おそらく同時期の琉大女学生を車で連れ去り強姦した事件のことか。あと同月1月に首里で17歳の障がい者が小学生を強姦殺人した事件も含まれるかと思われる。
ニュースの窓 少女行くえ不明事件
気ちがいじみた動機 / 人間として許さない
北中城村字屋宜原で下校途中、行くえ不明となっていた〇〇〇子さん(11)=北中城小学校5年生=が。13日午後、むざんな死体となって、読谷村の多幸山の中で発見されました。事件発生後二週間ぶりのことです。犯人はまもなく警察につかまりましたが、「何か大きなことをして、社会をびっくりさせたかった」とうそぶいており、その気ちがいじみた無謀(むぼう)な動機(どうき)は、ひとびとの怒りをかい、厳罰をのぞむ声が高まっています。
じっさい、〇子さんが行くえ不明になった事件は大きな社会問題となり、警察や地元の小学校の先生がた、父兄、そして付近住民の協力で、大がかりな捜索(そうさく)が、北中城、中城、読谷など中部一帯でくりひろげられました。〇子さんは2月28日午後3時すぎ、学校から家へ帰るため、校門近くで友だちと別れ、それっきり、ぷっつりと消息をたったのです。
警察のけんめいな聞き込み捜査の結果、〇子さんは外人にむりやり車でつれ去られたらしいという情報を得、いらい、軍民両警察が連絡をとりあって捜査を続けたわけですが、容疑者はいがいにも沖縄青年※1だったのです。
容疑者のコザ市上地〇〇〇・安田〇〇(20)は、〇子さんが一人で下校するのをみてあとをつけ〇子さんの頭をうしろからハンマーでなぐりつけ、つれ去って殺したあと、スーツケースの中に死体をいれ、借りてきた車で読谷の山の中に運んで埋めたのです※2。
安田は少年時代から問題があり、本土にいたころ本土の少年院に入れられていたことなどもあって、反省するどころか一方的に社会をにくみ、「人を殺して、社会にふくしゅうしたかったの」どというただそれだけの、ひとりよがりな理由で犯行を計画、なんのかかわりあいもない〇子さんを殺してしまったのです。〇子さんのおかあさんは「犯人は鬼と同じだ。なんというひどいことを…」と泣きふしていますが、この心の中はきっとはりさけんばかりでしょう。安田の犯行の動機といい、その残忍(ざんにん)でむごたらしい手口といい、じつに人間として許せないものといわなければなりません。
さいきん、沖縄ではいろいろな暗い事件がひんぱんに起こっています。好奇心(こうきしん)やおもしろ半分に、集団で通行人をからかったり、車でつれ去って人通りのないところで乱暴するなど、ケダモノのような行動※3なども、げんざい目に余るものがあり、大きな社会問題となっています。しかもこうした人間としての心を失ったような犯罪を起こしているのが、17~8から20歳前後の青少年に多いのです。許せないことです。学校帰りにこのような事件の被害にかかったという例もあります。
警察も、このケダモノのような連中のリスト(名簿)をつくり、取りしまりに力を入れつつあり、また事件を防ぐためにパトロールを強化していますが、また事件を防ぐためにパトロールを強化していますが、警察だけにたよっていては明るい社会をつくることはむつかしいのです。何よりも、一般住民が一致協力して、犯罪をなくすことに努力することがかんじんです。そうして犯罪を起こした者を徹底的に追及し、摘発(てきはつ)していき、また犯罪を未然に防ぐよう心かけて、みんなが安心して歩けるように、安心して暮らせるように、ほんとうの明るい社会をつくっていかねばならないのです。みなさんも、つねひごろから、正しい人間として、胸をはって生きられるように心がけるとともに、安全のため、とくに登下校のときは一人歩きせずにグループ登下校するようにし、また夜道など一人歩きはさけるようにしましょう。
〇子さんを殺した犯人はその、性格の異常さなどから犯行動機についてもなお疑問が多く、いま警察できびしく取り調べられており、やがて裁判にかけられることになります。(昭和44年03月16日付琉球新報朝刊04面)
この風刺絵は現代ならもちろんアウト判定です。それだけ事件の影響が大きすぎた傍証ですが、手加減一切なしのところが怖すぎます。

