1913年(大正2)のユタ裁判 その7

しばらくユタ裁判の記事のアップをサボっていましたが(汗)、今日から第3回公判の記事を再開します。 その前にこれまでの公判のあらすじを説明しますと 、

2月17日の午後10時ごろ仲地カマドさん、具志堅マウシさん宅を訪ねる。

そこで「近頃神を信ずる心が足りないため、東町は大火に見舞われた。陰気七獄、陽気七獄、都合十四ヶ獄の拝所の水の神に祈願しないと、次は西町と辻が全焼する」と絶叫。

それを外で聞いた城間ゴゼイさん(当時44歳)が、びっくり仰天して西町に駆け込んで、仲地カマドさんの御告げを言いふらす。

その噂があっという間に広がり、西町が大騒然。

余りの喧騒に警察が驚いて調べたところ、17日の仲地カマドさんの絶叫が原因じゃね?と判断して19日にカマドさんを検挙。

警察の取り調べのあとの拘留20日の処分に不服のカマドさん、正式な裁判を求める。しかも大物弁護士である前島清三郎氏を付けたために、世間が騒然、大注目の裁判になってしまう。

第一回公判で仲地カマドさんは覚えていない、ユタをする身分ではない、他人のために拝んだりしたことはないと主張。前島弁護士は城間ゴゼイ、具志堅マウシの両人の証人喚問を要求。

第二回公判で、証人城間ゴゼイさんから「神事を叫んだのはコイツです」と証言されカマドさん動揺&ガチ切れ、そして神事を先に述べたのは具志堅マウシさんと証言、ただし城間ゴゼイさんは速攻で否定。

第三回公判で、証人具志堅マウシさんが「神事を叫んだのはコイツです」と断言して、カマドさん発狂、そして法廷から強制退場という流れで、今回は前島弁護士の無罪論を記述します。

ブログ主が思うに、ここまでの公判の流れで一番ブチ切れているのは実は前島弁護士ではないでしょうか。公判の流れは素人目に見ても仲地さんの圧倒的不利の状況です。しかもカマドさんが墓穴を掘りまくりの展開で、仮にブログ主が弁護士だったら速攻でキレます(笑)。

にも関わらずけなげにも無罪論を主張する前島弁護士はいくら職業柄とはいえ素直に敬服します。では第三回公判の続きと前島弁護士の無罪論をアップします。

(続き)証人調べまで退場を命ぜられたユタ仲地カマドは、巡査に引かれて入場、判事の前に立って訊問を待った。判事は具志堅の証言を繰り返して言い聞かせたあと、それでも証人の言はウソかと問うと、ユタはまたまた荒れ出し、声を張り上げて具志堅の証言を否認。被告と証人はアワヤ組み打ちせんばかりの形成となったので、今度は具志堅をユタの席より引き離してやっと静まった。

長野判事 被告は常に具志堅マウシ宅に出入し神事を言っていたというが、どうですか?

仲地被告 そんなことはありません。17日は母の命日のため、墓参しようとしたのですが、具志堅が墓参なんか要らない。神を拝めば沢山と自分を引きとめたのです。

(この時また証人とののしり合う)城間ゴゼイや具志堅マウシ等は、平素自分と心安い仲ですが、罪を私一身に浴びせかけようとしているのです。

判事は別に申し立てることはありませんかと問い、検事の論告に移った。

中原検事の論告 被告仲地カマドは、警察署では確かに時ユタの事実を詳述しながら、当法廷ではことごとくこれを否認。罪状は具志堅マウシ、城間ゴゼイの証言により明白なるのみならず、平良カメ、城間カマド、安慶名マイヌ等も現に事実の証言をした。彼女が人をまどわした事実は一点の疑いもない。これは警察犯処罰令第二条に相当し、その刑罰は20日以下もしくは30日未満の拘留処分に相当する。ユタが社会に及ぼす害毒については、すでに新聞紙上に言い尽くされているだけでなく、ユタ処罰については、従来、度々厳達を出しても、いままで処罰を行ったことはなかった。今回の騒動で粟国ウタは25日、山川カマドは15日の拘留に処せられたるに比し、粟国とたいして罪のかわらぬ仲地が、20日の拘留は寧ろ軽きに失す。故に本官は極刑29日の判決を望む。

せっかく自己の利益のために招いた二人の証人が案外被告に不利益になったのみか、かえってユタの罪状を明白にし、前後二回の公判に、一言の弁護の余地も挟めなかった前島弁護士は、この日も快活でなく、重々しい身体をゆっくり起こして弁護した。

今日まで取調べた証人の言は、大体警察の取り調べと一致する所はあるも、本件の真相かどうかは、なお研究する余地がある。まず具志堅マウシは昨日の毎日紙上の記事によれば、観音をエバとして、天理教会と連絡をつけ、世人を誑惑させていた。その信者は結社をつくり、被告仲地も、証人具志堅、城間も共に信者の一人で、彼女らは観音を信仰して具志堅宅に出入りしていた事実がある。事実を確かめるには独り具志堅マウシのみでは不十分である。その他の島袋某なども取り調べる必要があり、被告が具志堅宅に行ったのは、旧の13夜で、観音を拝みに行ったのを警察に発見され、拘留されたのであって、殊更に流言浮説を吹聴しに行ったためではない。その流言浮説も具志堅マウシの口より出たものである。具志堅の申し立ては自己の罪状を隠してはいるが、本日の彼女の挙動および彼女の人相を見ても、普通の女でないことが分かる。彼女にこうしたことを教えたのは糸満の渡久山某で、渡久山は旧藩時代よりこうしたことを教えて弟子ができ、結社をなすようになった。それで、多少関係ある被告仲地にも不利益の申し立てをしたものである。

と述べて無罪を主張、ユタ仲地に弁護を依頼された経過を諄々と述べ、実は自分もユタには不賛成だが、事実として公明の裁判を望む、と結び着席した。その後判事は厳然と形を改め、被告仲地カマドを20日の拘留に処す旨を言い渡して閉廷した。(続く)

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