前回の記事において、昭和42年の記事や新聞倫理綱要を引用しましたが、新聞記者は国民の知る権利を全うすべく、高い倫理意識をもって業務に励まなければならない職種であることがわかります。そしてその “使命感” こそが他の職種との違いともいえますが、興味深いのは使命感だけでは新聞記者はやっていけない側面があるという事実です。
シリーズ
新聞が育てる未来の人と国
ここ数日ブログ主は、忙しい中時間をつくってアメリカ世時代の史料をチェックしていますが、その中に興味深いコラムを見つけましたので全文を紹介します。50年前のコラムなので若干読みづらいところはありますが、当時の新聞記者たちの “矜持” が伺える貴重な内容になっています。
ディストピアりうきう
今回は(前回の記事の)番外編として、アメリカ世時代の ”レベルの高さ” について言及します。ブログ主は前回の記事において「そして現代人から見るとアメリカ世は “ディストピア” に感じるかもしれませんが、ブログ主はこの手の間抜けが大量繁殖していたアメリカ世をどうしても嫌いにはなれない」と述べましたが、だからといってこの時代への転生はおことわりしますの一言しか言えません。
琉球住民と刃物(2)
前回の記事において、アメリカ世時代の傷害事件の一例を紹介しました。それを踏まえて昭和40年4月16日の勝連村松島料亭街での殺傷事件について振り返ってみると、刃物による傷害事件が多発していた同時期においてもこの事件は “異常” の扱いを受けています。
沖縄はなぜ “復帰” したのか
今回は、当運営ブログの趣旨に少し反するかもしれませんが、ブログ主個人の経験から、我が沖縄がなぜ日本に復帰したかについて言及します。
昭和の世代には経験あるかもしれませんが、戦前を生きたオジー・オバーたちに「沖縄はなぜ日本に復帰したの?」と聞くと「沖縄は日本だからさー」と回答されたことありませんか。そして「沖縄戦であんなに酷い目にあったにもかかわらず、なぜ沖縄は日本に復帰したのさ?」と聞くと、困った表情をしながら「沖縄は日本だからさー」と答えます。
琉球住民と刃物(1)
昭和40年(1965)4月16日深夜、勝連松島料亭街で発生した殺人事件に絡んで、これまで自警団の歴史について言及しました。今回からアメリカ世における「刃物による刺傷事件の多発」について言及します。
深夜パトロール同行記
那覇署は〔昭和37年8月〕4日午後11時から旧盆を前にしての防犯取り締まりと、特飲街の実態調査に乗りだした。初日の4日は、杉原総務課長、照屋外勤係長、外間巡査部長ら総勢およそ20人、明け方の5時まで盛り場の巡視を行った。
独立芸人と二つの心
そういえば先月27日は「沖縄県」が設置された “琉球処分” の日ですが、例年この日の前後あたり、SNS上で「日本の植民地的支配が云々」を唱える輩がちらほら見かけます。
エリシウムの考察
ここ数日、SNSでのやり取りで色々思いつくことがあり、今回はとある呟きに対するブログ主の考察をまとめてみました。それは令和5年(2023)9月30日付のRobert Kajiwara氏(比嘉・梶原孝昌ロバート)の投稿ですが、「琉球独立国の再建、すべての琉球人・うちなーんちゅに平和と繁栄」と題し、琉球独立国の再建についての “お気持ち” が表明されていました。
過去の “自分” が襲い掛かる恐怖
ここ数日、ブログ主はたまっていた新聞史料をチェックした際に、偶然にも興味深い記事を見つけました。令和6年11月30日付沖縄タイムス23面に「SNS心得は自己肯定感」と題し、スマートフォンアドバイザーのモバイルプリンスさんが中学生を相手に講演した小さな記事ですが、非常に参考になる内容でしたので全文を書き写しました。
彼に関しては過去に一度取り上げましたが、「専門家」としては一目置かざるを得ない人物なので、興味深く記事を読ませていただきました。読者の皆さん、是非ご参照ください。
俺が調子に乗ってライトなシージャネタを紹介する記事
本日はクリスマスということで、今年も恒例の風俗記事をアップといきたいところですが、今月22日の名護市議のやらかしがあまりにも強烈すぎたので、とりあえず復帰前後のシージャネタでお茶を濁します(理由:勝てる気がしないから)。
そのシージャネタも去年紹介した “中絶模合” に勝るレベルはなかなかありませんので、取り急ぎ軽めのネタでまとめてみました。読者のみなさん、是非お愉しみください。
尚泰久王の謎
今回は、ももとふみあかりに関する人物として尚泰久王(1415~1460)の “謎” について考察します。彼は定説によると尚巴志(1372~1439)の五男で、越来の按司から第6代のりうきう国王に即位した人物です。そしてももとふみあかりの実父としても知られていますが、彼にはこれまで解せなかった謎があります。それは神號が2つあることです。
昭和のりうきう(民度編)
以前、ブログ主は琉球新報特集記事「婦人の見た中国」(全6回)の全文およびまとめページを当運営ブログにて公開しました。昭和のりうきう知識人のちうごく感が伺える貴重な内容ですが、ただし現代人から見ると “お花畑” に思えるのも無理はありません。
昭和のたくましいおばーたち – 偉人編
前に紹介した、復帰後の国際通りの夜店で働く女性の記事が思いのほか好評を得ましたので、今回も調子に乗って昭和のたくましいオバーの記事を紹介します。昭和49年10月6日付琉球新報朝刊に、ある老人ホームの嘱託医の記事が掲載されていましたが、何とその医者の名は千原繁子さん(1898~1990)。ご存じの方もいらっしゃるかと思われますが、我が沖縄の歴史における初の「女医」として知られる偉人中の偉人です。
昭和のたくましいおばーたち(1)
今年は我が沖縄が本土復帰して52年目になりますが、ブログ主は試しに復帰後の沖縄社会の史料、特に新聞記事を重点的にチェックしてみたところ、非常に興味深い高齢者に関する記事を見つけました。