ソ連の裏と表 ⒁ – 作業が惡いと減食 – ロシア人は塩漬魚が好物

収容所と作業場との囚人の送り迎えは大変である。囚人は収容所の門内で員数を数回確かめられて後、一人ずつ囚人カードに依って姓名年齢、条項、刑期、を答えると、門外で護送の部隊にカードと共に引渡される。受取った兵隊は更に員数を点検して異状がなかったら所長の差出す受領にサインをして作業場へ前進をはじめる。周囲には自動短銃を構えた兵隊達が警備に当り、後尾からは軍犬もお伴をする。

列は必ず五列の縦隊を作り、互いに腕を組むことになっている。隣の腕を離し、一歩でも隊列から離れたら、忽ちその場で射殺である。空腹のあまり、馬糞の白く凍りついたヤツを、馬鈴薯と間違い、行進中から一歩はずれて、それを拾い上げようとかがんだ瞬間射たれて死んだ者もいた。隊列の中にザワザワ話し声が聞かれるときは、その場で停止を命じ、氷の上でも泥の中でも伏せさせて威嚇射撃を行い、静かになるのを待ってまた行進を始める。収容所における食事は、基本食が黒パン六百五十グラム、砂糖十五グラム、雑穀野菜ともに監獄よりは若干増す。それを二級食として一般収容所では四種、極地の特殊収容所では八種の級別に分けて支給される。各仕事別にノールマと称する作業課題が与えられ、その八十%を遂行出来ない場合は減食として一級食、百%迄が二級食の基本食、百%の超遂行者には三級食、更に百五%以上、百十%以上と段々食事が質量ともによくなっていくという仕組である。隣で自分より大きなパンを食べているのを見ると、うらやましく見えてせめて自分もあの位のを食べてみたい、というのが囚人の悲しい希(のぞみ)である。そうして、どうせ一級位上のを食べても、どっちみち、満腹はしないのに、わずかばかりのパンの増食欲しさに無理に働いては段々体を衰弱させて、倒れていくのがあわれな囚人の姿である。余分のオカユが一杯ほしいばかりに一日の労働が終ってから、夜通し炊事場の使役に行く者もいる。それも誰でもが何時でもいけるものではない。顔役の紹介がなければ駄目である。囚人の死亡はその大部分が栄養失調に原因する。

死んでも親戚知人に引き取らせる事はしない。真裸にして土葬にするだけである。死んだ者から脱ぎ取った下着を洗濯して皆の交換用として使われていく、野菜類が少いので壊血病が非常に多い。

餓死すれすれの線において、食べ物で釣るという、人間の一番の弱点を利用するのがソ連式らしい。しかし、八〔級〕食ともなるとさすがに立派なもので、一キロ二百グラムの黒パンに副食には油の入った焼飯などのつくこともある。もっとも八〔級〕食を貰うというのは例外に属することであるから、一般の者には高値の花である。塩漬の魚はロシヤ人の好物で生のまま手でさいて食べるのが普通であるが囚人には適当に切ったヤツを個人配給する。特にサケ、ニシンの一切れでもわたるときは最上である。ソ連では國家的祝日としては五月一日のメーデーと十一月七日の革命記念日だけである。その日が近づくと、囚人に対する当局の監視は益々緊張し、数回にわたって持物検査が行われる。暴動や逃亡がこわいからである。そして当日になると作業は休みとなるが食事はひどく悪くなる。日本では祝祭日には監獄でも特別割増の配給があると聞くが、ソ連では何事も反対らしい。配給する現物には変りはないそうだが、私達の手に渡る時はいつもよりひどく悪い。せめて祝日位は何かおいしいものを沢山作って食べてみたいという収容所関係職員達が囚人の、貧しい配給のピンをはねるからだ、と古い連中はいっていたが、それ程フンガイしている様でもないのに私は不思議に思った。ロシヤ人ってキモ玉が大きいのか、馬鹿なのかわからない。

そういうのを大陸的というのだろう。自分の死活の問題でもひとごとの様に笑って話している。お人好しというのがロシヤ人の元来の特徴である。いかにゆがめられた圧制下にあってもゆがめられない人のよさは今のロシヤ人にもことに革命以前から生きて来た四十代以上の人達によく見受ける。憎めない、善良な人達が何故こんなに苦しまねばならないのだろうか。(1957年5月13日付沖縄タイムス夕刊4面)

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