今年もあと数時間で終わりますが、最後にちょっと真面目に “世界で一番危険な” のフレーズについて言及します。ご存じの通り我が宜野湾の普天間基地の枕詞なんですが、では本当に言葉通りの極めて危険な存在なのでしょうか。
この点については決着している感がありますが、結論を先に述べると「世界で一番危険とは言えないが、『普天間基地は世界で一番危険な基地である』との命題は存在する」になります。
大雑把に説明すると、ハッキリ言って本当に危険なところにはヒトは集まりません。ましてやアメリカ世から復帰後にかけての沖縄社会は広範な移動の自由を謳歌した時代です。ためしに、1972年9月に刊行された「宜野湾市1972版市勢要覧(宜野湾市総務部企画課)を参考に、国勢調査に基づく人口調査をチェックしたところ
・昭和25年(1950) 15,930
・昭和30年(1955) 24,328
・昭和35年(1960) 29,501
・昭和40年(1965) 34,573
・昭和45年(1970) 39,390
となり、極めて順調に人口が増えていることが伺えます。なお、この時代は宜野湾小学校に銃弾が飛んでくるなど、なにかと物騒な側面はあったのですが、それでも人口は増加しつづけています。そしてその流れは復帰後も続き、令和の宜野湾市はついに人口が10万人を突破しました。
ちなみに、普天間基地が本当に危険なら、昭和35年(1960)に普天間中学校が今の場所に移転するはずがないのです。
とどめに今年は(西普天間の米軍住宅返還跡地に)琉大病院が移転し、マクドナルドがオープンしましたが、世界一危険なところに大型病院を移転させるほど琉大当局はおバカな存在でしょうか?
といえばそうではありません。ただ、現実を直視せず、普天間基地は世界一危険な存在だと言い続けている輩が
自分がバカと気が付かない本物のおバカ
なだけなのです。つまり彼らは命題に沿った事実のみ脳から入出力されない存在になってしまったのです。だから彼らにとっては「脳内世界一危険な普天間基地」、これに尽きます。
ただ、普天間基地に危険な側面があることは否定しません。だいたい7~8年に1度は大きな事故を起こしてますから、もしかして来年あたりそろそろ事故を起こすかもしれません。実は、「普天間基地は世界一危険」の命題が令和の今日も喧伝されている理由のひとつがこれであり、興味深いことに絶妙のタイミングで世間を騒がすトラブルを起こすのが普天間基地の特徴でもあります。
とは言っても社会の現実は、7~8年に1度の基地被害よりも、毎年全国ワーストを記録している飲酒運転によるトラブルの方がはるかに重大に決まってます。
最後に普天間基地は今後どうなるかわかりません。存続するかそれとも返還するかは ”神のみぞ知る” ですが、来年の県知事選挙の結果次第で「普天間基地は世界一危険である」との命題に依存している輩は、社会から引退を余儀なくされます。一括退去になるか、それとも徐々に姿を消すかどうかは不明ですが、ただし彼らのような存在が現在の宜野湾市には “不要” であると断言して今回の記事を終えます。
今年の〆は毒気強めな記事になりましたが、読者の皆さん
良いお年をお迎えくださいませ。