ホントは怖い鬼餅(ムーチー)のお話

ブログ主は先日、角川書店刊行の『沖繩文化史料集成5 – 球陽原文編』を参照していた際に、鬼餅(ムーチー)伝説について言及している箇所(巻 1-14)を見つけたので書き写してきました。試しに桑江克英氏による読み下し文もチェックしてブログ主なりに意訳を作成したところ、実に興味深いことが分かりましたので記事にまとめてみました。なお意訳とはいえ良い子の目に触れるのは憚れる箇所が複数ありますので、読者の皆さんも気合を入れてご参照ください。

球陽巻一 附 – 首里内金城邑鬼人

遺老傳記首里内金城邑一兄一妹兄名不傳有一女名叫於太故稱於大阿母同住一宅其宅于今封爲小獄次後兄遷居大里郡北洞中時殺人吃肉村人叫大里鬼妹偶住門候不在家但見竈上釜中煮人肉妹驚走中途偶遇兄兄曰汝何急歸我有美肉要使汝吃妹曰家有要事兄强留之妹無詞可辭同到兄家忽設奇謀密攝懷内孩女腿使他大哭兄問妹曰此孩要下便兄曰家裏下便亦何妨妹曰家裏下便非禮堅請出外兄卽以小繩縛妹手令行茅廝妹將其小繩掛樹枝上遂爲逃去兄疑妹囘遲出而視之果然不在趕到北嶺大叫等我妹如猛虎咆來一般匍匐而去因叫其地曰等川又其嶺曰生死坂厥後兄問候妹首里妹遽爲一計請兄坐岸上卽作鐵餠七顆糯米爲餠内奘鐵丸蒜七根且米餠七顆蒜七根給兄鐵餠幷蒜鬼人要吃而不能時妹開前裙箕居兄前兄怪問之之妹曰吾身有二口下口能喰鬼上口能餠卽吃餠與蒜兄大驚慌忙跌落後岸而死由是毎年十二月必擇吉國人皆作餠吃之以倣其避鬼災之賀云爾鬼餠節自此而始但首里金城邑素有毎年十二月内六次作鬼餠獻神以吃之而今十二月初庚日一次共計二次松川地頭必出與那覇堂之田米二斗五升以與根神人根神根神人卽作鬼餠供祭小獄其由係乎松川里主地

引用:角川書店刊行、球陽研究會編纂「沖繩文化史料集成5 – 球陽原文編」157 ㌻

ちなみにブログ主が作成した意訳は以下参照

【意訳】遺老伝記によると、首里金城村に兄妹あり(兄の名は不明、妹名は於太)、当初は同じ家に住んでいたが、しばらくして兄は大里郡の北にある洞穴に移り住むようになった。彼は時々人を殺してその肉を食したので、村人から大里鬼と呼ばれていた。妹はたまたま兄の住んでいるところに訪れたところ、彼は留守だった。そこで妹は(家の中の)カマドの上にある釜の中で人肉が煮られているのを見て、彼女は驚いて走り去った。だがしかし途中で兄にバッタリあってしまい、兄に「妹よ、なぜ急に帰るのだ。美味しい肉があるぞ。御馳走しよう」と声かけられた。妹は「家に用事あるのでけっこうです」と答えるも、兄は無理強いして妹を自宅に招こうとした。妹は断るすべなくだまって兄の家についていったが、たちまち一計を思いついて、(一緒に連れてきた)孩女(2~3歳の幼児)の腿を抓って大いに哭かせた。兄は(なぜ哭くのか)と問うと、妹は「この子はトイレに行きたいようだ。窓の外で用を足させてほしい」と答えた。兄は「家の裏で用を足せばいいじゃないか」と反問すると、妹は「家の裏で用を足すのは礼儀に反する」と答え、外に行かせてほしいとムリに頼んだ。兄は小縄を以て妹の手を縛って、家外のトイレに行くよう指示した。妹は(外にでると)その小縄を外して樹木に掛けてその場から逃げ去ることに成功、兄は妹が戻るのが遅いのを怪しみ外にでると彼女はどこにもいない。北に向かって慌てて追いかけ「おい待て!」と叫ぶも、妹は猛き虎の叫び声の如き兄の呼びかけをガン無視して逃げ去っていった。

後日兄は(前日の一件を妹に)問いただすために首里にやってきた。妹は一計を案じ、兄に岸の上で座って待つように頼み込んで、鉄入りの餅とニンニクを御馳走した。鬼人は鉄餅を食べようとするも食べることができない。その時、

妹は下着の前を開けて、兄の前 “M字開脚” のポーズを取った(妹開前裙箕居兄前)

兄が怪しんで(なぜそんなことをするのか)と問うと、妹は「我が身には2つの口がある。下の口(想像にお任せ)は鬼を喰らい、上の口は餅を喰らうのだ」を答えて、(鉄が入っていない)餅とニンニクを食べた。兄は大いに驚いて慌ててうっかり足を滑らせて岸の上から落ちてしまい、死んでしまった。これより毎年12月になると、吉日を撰んで國人は皆餅を作って食べることになった。つまり鬼の厄災を避けたエピソードに倣ってこの慣習が生まれたとのこと。(中略)

少しふざけた意訳ですが、このエピソードから確認できるのが3つあります。鬼人=精神に異常をきたした人と見做しても誤りではないので、その点から考察すると当時の琉球社会には人肉の慣習がなかったことが分かります。人肉食は異常行為の前提で物語が作成されていることに着目すると、古来より琉球には人肉を食べる習慣がなく、中国大陸からも人肉食の慣習が持ち込まれなかったことが読み取れます。つまり14世紀末に来琉した閩人(久米三十六姓)たちは琉球に人肉食の慣習を持ち込まなかった可能性が極めて高いのです。

次に当時の社会において手に負えない精神異常者を身内がどうやって処分したかを推測できます。アメリカ世の時代にも精神異常者を抱えた家庭の悲惨な事件が散見されましたし、ブログ主も2~3実例を知っています。ただし現代と違って当時は精神病院はありませんから、身内どころか他人にまで迷惑をかける鬼人は自らの手で処分するしかありません。おそらく当時の社会における “暗黙の了解” だったのかもしれません。

最後に、兄さんは妹の行為に驚いて転落死を遂げてしまうのですが

もしかして、この鬼人さんは童貞?

と実に余計なことを考えてしまったブログ主であります。

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