共感性の欠如

本日(27日)付沖縄タイムス1面〈大弦小弦〉をチェックすると、(自称)メンタリストDaigoさんの炎上騒動についての言及があり、いかにも沖縄タイムスが好みそうな案件だなと思いつつ目を通していました。

そして偶然ですが、SNS上で(東京都)町田市医師会所属の医師の投稿(町田市医師会報 / 第533号)が大炎上しており、問題の根が両者とも一致している件にブログ主は気が付いて、試しに記事にまとめてみました。まずは〈大弦小弦〉の全文を書き写しましたのでご参照ください。

大弦小弦

「ホームレスの命はどうでもいい」「全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きていける」。メンタリストを名乗り、ネットなどで情報発信するDaigoさんの発言に驚いた▶邪魔でプラスにならないと持論を展開し、生活保護の受給者に対して「お金を払うために税金を納めてるんじゃない」とも述べている。批判を浴び「無知が招いた失態」と謝罪したが、差別的な言葉の数々に後味の悪さが残る▶思わぬ病気や事故で日常生活が維持できなくなる可能性は誰にでもある。不況による失業など自分の意思だけではどうにもならない困難も多い。ホームレスや生活保護の受給者に「自業自得」という先入観を持つのは偏見だ▶長引くコロナ禍で、昨年度の生活保護申請者件数は計22万8081件に上り、リーマン・ショック後の2009年度以来11年ぶりに上昇した。他方で「怠け者」とのレッテルを恐れ、生活保護を申請しない困窮者もいる▶背景にあるのは貧困や生活困難者にバッシングを加える社会的風潮だ。人が人として生きる権利を簡単に否定する言動は、ヘイトクライムにもつながりかねない▶自己責任が過度に求められる世の中は生きづらい。社会的弱者への差別や偏見をなくすことが、かけがえのない命の尊厳に目を向けるきっかけになる。(与儀武秀)

引用:令和03年8月27日付沖縄タイムス1面

このコラムで執筆者が訴えたいのは “背景にあるのは貧困や生活困難者にバッシングを加える社会的風潮だ。人が人として生きる権利を簡単に否定する言動は、ヘイトクライムにもつながりかねない” の部分であり、その根底には “他者への共感力の欠如” があります。ブログ主はネットコラム “心理学者から見たメンタリストDaigoさんの発言”  を読んでこの件に気が付きました。

昨日から炎上している町田市医師会所属の佐々木崇氏の投稿もまさに共感性の欠如を感じさせる内容であり、全文を書き写しました。是非ご参照ください。

都医ニュース / ふれあいポスト / 各地区会報から

町田市医師会 / 佐々木崇 / 不要不急の商売は次々と潰れていく

私は2カ月に一度、行き付けの理容院に通っている。理容行為は3密そのものなので、新型コロナに感染する可能性を考えてしばらく様子を見ることにした。予約していたので後ろめたい気もしたが、電話でキャンセルすることにした。

コロナのためという一方的なキャンセルにも拘らず、店主は気を回してキャンセルを快く承諾してくれた。心の内は分からない。他にも断りを入れた客がいるのだろうか。今までの付き合いがあるのに断るのは理不尽ではないかと思ってはみたが、新型コロナに感染し、自由が束縛されるなどを思い巡らすと到し方ないと心に決めた。

キャンセルした日から2週間が過ぎた。新型コロナ禍は相変わらず続いている。後頭部に触れると何時もより幾分髪が多いようだ。自分で髪を洗った後、鏡を見るとさっぱり感がない。

満を持して電話をした。「何時が良いですか」「何時でも良いです。あっと、明日は都合が悪いです」「じゃ明後日はどうですか」「じゃ、お願いします」といつものようにはきはきとした応対である。私がキャンセルしたことなど忘れているのか、サービス業だからそんなことはないだろう。

私は手術用手袋を装着するという重装備で椅子に座った。彼女の方はマスクだけの軽装備。いつもと変わらず、新型コロナに向かう姿勢など微塵も感じられない。洗髪の際は、マスクや補聴器を取るよう言われた。前掛けの襟首の所を幾分強めに締めたのが新型コロナへの配慮なのか。髪を洗うのもいつもの通りである。特段、新型コロナへの配慮など感じられない。

「今日のお客さんは、先生だけです。新型コロナが怖くてお客さんはほとんど来ません、皆、奥さんにやってもらっているのかな。テレビの出演者の髪のボリュームが増えている」。少し高めの料金を払って店を出た。それにしても、一日に客が一人は厳しい。いつまで新型コロナ禍は続くのだろう。素人でもできる不要不急の商売は次々と潰れていく。(町田市医師会報 第563号から抜粋)

上記投稿から共感性の欠如は学歴や社会的地位とあまり相関性はないことが分かります。大雑把ではありますが纏めてみると、

共感性の欠如→他者に対する理解力の欠如→自己に対する優越感の止めもない肥大

の流れで、最終的に差別的言動に行きつくわけです。

共感性の欠如は育ちが原因なのか、それとも地域社会の問題なのか、その点は定かではありませんが、共感力の不足が原因と思われる他者への敬意を欠いた言動は我が沖縄にも散見されます。例えば下記引用のツイッターをご参照ください。

ブログ主はこの手の人物が反ヘイト活動に従事していることに恐ろしさを感じる今日この頃です。そして我が沖縄の未来を担う若者たちに対して、

こういう大人にはなるな

と声を大にして叫びたい気持ちを抑えつつ、今回の記事を終えます。