平和の擁護 – 原子戦争反対、沖縄の原水爆基地化反対

前回の記事においてブログ主は沖縄原水協の分裂騒動について言及しました。なぜこの記事に関心をもったかと言うと、実は以前に沖縄人民党第七回党大会(1956年1月22日)および民連選挙の綱領を見たことがあるからです。

たとえば沖縄人民党第七回党大会の綱領には

二、平和の擁護

原子戰爭準備反対、沖繩の原水爆基地化反対

と記載されていますし、昭和38(1958)年3月16日の立法院議員選挙に立候補した国場幸太郎さんの御挨拶のチラシには

民連選挙綱領

一、沖縄の原水爆基地化絶対反対

人類を破滅させる原子戦争の危険をくいとめ、世界の恒久平和を樹立するために、沖縄をアメリカのナイキはIRBM(中距離弾道弾)等の原子兵器の基地にすることに断乎反対し、原子爆弾水素爆弾等の一切の核兵器を沖縄から持ち去ることを要求して、たたかうこと。

と記載されます。驚くなかれ、この綱領はトップバッターに記載されていて、二番目が「祖国復帰の即時実現と日本民族の独立達成」となっています。

1950年代の史料ですが、当時の人民党がいかに核戦力(原水爆)に対して反対していたかが分ります。それが昭和39(1964)年の沖縄原水協の大会で「いかなる国であろうと、原水爆を製造、実験に反対する」とのテーゼに反対しているのですから、つまりたった数年足らずで核戦力に対する党の認識が変わっているのです。それは

沖縄人民党が日本共産党の事実上の傘下であったから

と見做しても誤りではないでしょう。参考までに沖縄人民党第七回党大会および立法院議員選挙の挨拶チラシの史料を貼り付けしますので、読者の見皆さん是非ご参照ください。