歴史を美化したがる面々

今月3日から首里城公園を中心に「第58回琉球王朝祭り首里」が3日間の日程で開催される旨の記事が、地元新聞1面に掲載されていました。6年ぶりの通常開催の模様ですが、この手のイベント告知をチェックしてつくづく思うのは、「ついうっかり歴史を美化してしまう」人間心理の根強さです。

特に地元から大きな反対の声がなく、主催の首里振興会と共催の那覇市も久々の開催で気合入りまくりなので、ケチをつけるのはどうかと思いますが、このイベントのモデルは、 “佐敷のタックルサー” こと尚巴志が生きた15世紀前半ではなく、(りうきうの歴史では名君認定の)尚真王が君臨した15~16世紀でもなく、おそらく史料が現存している17世紀以降の王家の年中行事で間違いないでしょう。

ということは、慶長の役(1609)で薩摩に敗れたあと、敗戦のツケを支配下住民に押し付け、自分たちは “中間搾取者” として君臨した1609~1879年の王家の行事をモデルにしている訳です。ハッキリ言って、王家と王族併せて(推定)400戸、2000人程度が “我が世の春” を謳歌した時代の行事を ”琉球王国の栄華” などと銘打ってイベントを開催しているのであり、よくもここまで王家を “キラキラ仕立て” にできるもんだと変に感心してしまいます。

参考までに、明治12年(1879)以前のりうきう社会は、すべての間切が破産(間切倒れ)との悲惨な状態でした。もちろん支配下住民の惨状は説明不要であって、それはつまり慶長の役以降、薩摩の支配になす術がなく、支配地域を(経済的に)壊滅状態に追い込んだ無能な王家や王族に責任があるのは言うまでもありません。

そういう黒歴史を全く考慮せずに、過去の栄華のロマンに浸っている輩は

大味久五郎氏や玉城デニー氏を “名知事” と崇める

ようなもんだと自覚してほしいんですが、おそらく(主催者たちは)実際にはわかっていてイベントを開催しているはずなんです。

「歴史の美化」の裏側には “どす黒い何が” が隠されているのが定番ですが、今回のケースは容易に推測できます。それはつまり、

もーきじゅく(金儲け)

の心理そのものなんですが、首里城の場合は、正殿再建から炎上までの期間の運用が極めてうまくいってたので、今後もこの手で観光客にカネを落としてほしいとの魂胆は理解できます。

ちなみに、最近ニューアルバムをリリースした「紫」を筆頭とするオキナワンロックの面々も、やたらと過去を美化する傾向があります。ハッキリいってアメリカ世時代のコザは治安が最悪ですし、アメリカー相手の金儲けが快く思われてなかった時代に、不健全コンテンツでボロ儲けした連中が世間からどのような扱いを受けていたかは容易に想像つきます。何よりの証拠に彼らの全盛期の活動について、沖縄2紙は一切と言っていいほど報じていないのです。ちなみに、県内マスコミが彼らを積極的に取り上げたのは、オキナワンロックが落ち目になった80年代中盤からであり、そのあたりから余計な枕詞をつけて「過去を美化」する傾向が始まっています。

※昭和60年(1985)、地元の観光振興の名目で、オキナワンロックの面々は行政に全面的に協力します。それが第三回ピースフルラブ・ロックフェスティバルですが、このあたりから彼らは「愛と平和を唄う」という意味不明な枕詞を前面に掲げるようになります。

その背後に隠されたどす黒い心理は「琉球王朝祭り首里」の主催者たちと同様、“もーきじゅく” のためで間違いないのですが、首里城正殿の場合は観光資源として極めて有能であり、実際に観光客が多額の金を落としてくれるありがたい存在だったので、「再建」の機運が高まりました。それに対し、オキナワンロックの場合は(ピースフルラブ・ロックフェスティバル本来の目的である観光振興として)思った以上に地元におカネが落ちなかった感があります。それどころか、

地元のお荷物になってしまったあとも過去を美化し続けて居座る

厄介な存在に転嫁してしまったのです。これが「歴史を美化する」欠点なのかと痛感しつつ、再建後の首里城にはそうなってほしくないと切望するブログ主であります(終わり)。