沖縄県民の欠点とは(目的と手段の入れ替わり)

以前、当ブログにて翁長助裕さん(現沖縄県知事の兄・故人)の論文を取り上げました。その際にブログ主は沖縄県民の大欠点の1つは“テーゲーとシムサの発想にある”と指摘しましがが、今回は別の視点から現代の沖縄県民が抱える欠点について調子に乗って取り上げてみようと思います。

現時点で沖縄県民の抱える欠点(あるいは弱点と言ってもいい)はブログ主が見る限り2つあって、1つは「目的と手段が入れ替わること」であり、もう1つは「遵法意識の欠如」になります。遵法意識に関しては歴史的な経緯の説明が必要になるため後日改めて述べることにして、今回は目的と手段が入れ替わる癖についてお話します。

この欠点に気がついたのは、実は瀬長亀次郎氏の経歴を調べていたときです。瀬長さんにとって己の活動の最終目的は何か?を考えると、それは「人民自治政府の樹立」になります。分りにくいかもしれませんが、昭和22年の沖縄人民党の綱領には「我が党は労働者、農民、漁民、俸給生活者および中小商工業者等、勤労大衆の利害を代表し、ポツダム宣言の趣旨に則りあらゆる封建的保守反動と戦い、政治経済社会並びに文化の各分野に於て民主主義を確立し、自主沖縄の再建を期す。」とあり、その理想実現のための政府の樹立が彼の目標です。

(注)ちなみに封建的保守反動は大東亜戦争に協力した人たち及びその団体、民主主義は反ファシズムの意味で考えてください。

つまり、瀬長さんにとって、沖縄戦後にうるま新報社に奉職したのも、当時は沖縄民政府と米軍とも親密な関係にあったことも、そしてその後反米に回り“不屈”のキャラクターで活動したことも、復帰後は日本共産党と合流したのも、すべて人民自治政府を樹立する目的のための「手段」なのです。彼は残念ながら目的を達成することなく亡くなりますが、問題は瀬長さんの後継者たちが目標をきれいさっぱり忘れてしまって、手段に過ぎない“不屈の時代”をやたらと神聖化してしまったことです。これが目的と手段の入れ替えで、その結果瀬長さんの“本当の意思”は後継者に見向きもされなくなってしまいます。

この案件はまたは「手段の目的化」とも言えます。典型的なのが現在のオール沖縄が推進する普天間基地の辺野古移設反対運動で、その最終目的は「普天間基地の県外移設」、そしてそのためにオール沖縄という団体(と言ってもいい)が誕生します。オール沖縄は目的を達成するために設立された政治集団ですが、現時点ではその団体を維持するために「辺野古新基地建設反対運動」を行っている、つまり手段が目的になっている状態なのです。

面白いことに、目的と手段が入れ替わる行動を続けていくと、今度は「(目的のためには)手段を選ばない行動」に走るケースが見受けられることです。一番わかり易いのが選挙違反で、つまり「公約を達成するために立候補する」→「選挙に当選することが目的化する」→「当選するためには手段を問わない」という流れです。旧革新陣営の選挙違反もどきはこのケースに該当すると思われます。

目的と手段が入れ替わる状態は、最終的に「目的合理性の欠如」につながります。生産的でも建設的でもなく、ただ手段に没頭する状態は決して好ましいとは言えません。我が沖縄および県民が21世紀を生き抜くためにはどうしても克服しないといけない弱点と断言しても構いません。

ではどのようにして克服するかといえば、「目的は何か、いまの手段は果たして有効か?」を身近な行動から常に問い続ければいいのです。そのための(政治)集団を組織し、大袈裟な県民大会を開催する必要はありません。ひとりひとりが自らの行動を省みれば、近い将来我が沖縄県民は必ずや上記の欠点を克服できるとブログ主は信じて疑いません(終わり)。

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