自由と平等の観念に対する誤解を憂うお話

いまさらブログ主が指摘するほどの案件ではありませんが、廃藩置県以前の琉球社会において”自由と平等”という観念は全くといっていいほど存在しませんでした。先日『太田朝敷選集』をチェックしている際に、そのことに触れた箇所を見つけましたので今回当ブログにて掲載します。(今回取り上げた史料の全文『琉球新報は何事を為したる乎』は後日当ブログにて掲載します)

●明治卅六年拾貮月廿壹日(月曜)- 琉球新報(二)

◎第十一自由平等 と云ふ思想は置懸後の新輸入にして其議論の如きは實に幼稚なり然れども自由と云ひ平等と云ふも勝手気儘の振をなすの謂にあらす之を正當に論究するときは自由の中に不自由あり平等の中不平等あり我儘の自由平等は是れ禽獣の自由平等なり國法を遵守するの精神か厚からざるも個人間に衝突の多きも畢竟自由平等の誤解より來るもの也(下略)

引用:『琉球新報は何事を爲したる乎』より抜粋

補足すると上記引用は明治36年(1903年)2月21日、琉球新報創刊10周年を記念して掲載された論説からの抜粋です。ブログ主が興味を覚えたのは「之(自由平等)を正當に論究するときは自由の中に不自由あり平等の中不平等あり」と太田先生が指摘していることです。

ここで太田先生が認識している自由は「価値判断の自由」であり、平等は「~の前の平等」のことです。琉球王国時代は「個人」という観念もなく、それゆれ価値判断は個人で決めることはありませんでした。ちなみに「自由の中に不自由あり」とは「価値判断は個々で下すもその言動には責任を伴う(つまり公序良俗に反する行為はゆるされない)」ことを、「平等のなか不平等あり」は「沖縄県民は天皇陛下の元、法的に日本臣民として平等も、すべての事柄を一括平等に扱うことではない」ことを意味します。

「個人」や「~の前の平等」という観念がないところに、いきなり外部から自由と平等の概念を持ち込むと「我儘の自由平等は是れ禽獣の自由平等なり」となります。この点を指摘した太田先生の慧眼には敬服せざるを得ません。つまり自由と平等の概念の誤解が結果として社会秩序を乱し、沖縄県の発展を阻害する要因になりかねないことに警鐘を鳴らしているのです。

現代社会にも通じる提言

100年前の社会状況であれば太田先生のご指摘通り自由と平等を誤解して我儘振る舞う人がいてもやむを得ませんが、現代社会においても「禽獣の自由平等」を満喫している不逞の輩を散見するのは気のせいでしょうか。

太田先生がお気づきの案件を現代人が気が付かない筈がありません。我が沖縄にもひとりよがりの正義を大声で唱えて公序良俗の反する言動を行い地域社会迷惑をかけている人たちが一部居るようですが、そういう輩は是非とも太田先生のご指摘に耳を傾けてほしい、そしてそういう人たちの行為が結果として”沖縄を分断”に導いているのではとブログ主は危惧せざるを得ないのです。(終わり)

 

 

 

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