突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – アメリカ世のゆるい話題を提供するよ

ここ数日ゼネストだの、少年犯罪だの重い話題が続いた当運営ブログですが、今回はちょっと気分転換でアメリカ世時代の3面記事からじわじわくるゆるい記事を紹介します。

ここ数年ブログ主が調子に乗って蒐集したアメリカ世時代の新聞記事が間もなく500部近くになり、整理整頓に一苦労している今日この頃ですが、昭和36~37年あたりにじわじわくる3面記事が集中している傾向があります。読者のみなさん、肩の力を抜いて当時の琉球住民のゆるい話題をお楽しみください。

宮本明(彼岸島)

義手で奮闘する末吉さん

不具の身で畑仕事に懸命

【伊平屋】伊平屋村前泊区3班の末吉康吉さん(52)は、今次大戦で右手を失い不自由をかこっていたが、自分で義手を考案して、いまでは1人前以上の畑仕事ができるようになっている。「不具の身といって悲しんでばかりはおれませんからね」と語る末吉さんは、村でも篤農家といわれるほどの働きもの。義手をふんだんに動かして開墾や畑仕事に一生懸命だ。

末吉さんの右手は戦争中に失い一時は仕事もできずに途方にくれた。これでは食いつなぎもできないとして、いろいろ考えたすえ、義手をつくることを思いたち、自分で研究して自由に動かせるような義手をつくった。

そのおかげで末吉さんは傷い軍人会伊平屋支部長、村議をつとめる一方、100㍄近くの田畑を自分ひとりの力で耕作し、いまでは篤農家といわれるほどになっている。部落の人は「右手のない人とは思えない、草かりから田畑の耕作など、何んでもできる。そのうえ五体そろった人より多くの仕事をするのだからおどろくばかりだ」と語っており、村民の称賛のまとになっている。(昭和37年4月11日付琉球新報6面)

障害を克服した美談ですが、末吉さんのポーズがもろに彼岸島していて、ブログ主は図書館で笑いをこらえるのに必死でした。

次は気の毒な運転手の話です。

ダメ・ゼッタイ

神経痛治そうと感電死

あぶない素人電気治療

25日午前7時ごろ那覇市松尾82、田崎さん方運転手Yさん(26)が自宅で死んでいるのを隣りの間借り人がみつけ、那覇署に届け出た。金城警察医が検視した結果感電死とわかった。

同署の調べでは山口さんは素人電気治療法をしようとスイッチに電線を結んで金属製のマクラにつなぎ、さらにあと1本の電線は手製の治療器に結び腰のしたにおいて寝て、電流を通して寝て感電死したもの。

いまはやりの高周波治療で神経痛を治そう

としていたもの。(昭和36年10月25日付琉球新報夕刊03面)

いまもむかしも素人医療は危険極まりない所業だと痛感します。

最後に迷子のニュースです。

イケメン

美栄橋通りに迷い子

2日午前十時半ごろ琉球新報社前で満2歳ぐらいの迷い子の男の子がいた。茶と白のごばん模様の上着でズボンははいていない。那覇署で保護している。(昭和36年11月2日付琉球新報夕刊3面)

この2歳児とは思えないりりしい顔たちと流し目がやばいぐらいじわじわくるのは気のせいでしょうか。(終わり)

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