カーハガリンドウ

昭和48(1973)年11月13日付琉球新報夕刊1面に “ユーモアを理解したい” と題したコラムが掲載されていました。ただし突っ込みどころ満載の内容ですので、全文書き写しにブログ主が解説を添えて紹介します。

いまさらですが、アメリカ世および復帰直後の沖縄は現代と若干常識のセンスが違います。このコラムも現代のセンスからすると “はぁ?” という内容ですが、そんな時代だったんだ的な軽いノリで理解していただけるとありがたいです。読者の皆さん是非ご参照ください。

話の卵 ユーモアを理解したい

どこの地方にも方言というのがある。その土地の味わいのある独特のニュアンスを持ったものであり、これを聞くのは楽しい。沖縄の方言も、万葉の昔から伝わる古い日本語であり、古語を鮮明にするためには貴重なものであるととなえる先生たちがいる。そんなむつかしいことはさておいても、方言も使い方と、使う場所を考えぬと、とんだことになってしまう。

沖縄の方言にタックススンドウというのがある。それを直接に日本語に訳せばたたき殺してやるぞということになってしまう。両者の持つ言葉の感じはまるっきり違う。法律のことはよく知らないがタックルスンドウといって他人をなぐったのとたたき殺してやると叫んで暴力を振ったのとでは相当の差が出てくるのではないか。場合によっては、殺意がそこにあったかどうかという問題にもなる(中略)

ここまでは問題ないでしょう。われわれが日常使う方言も時と場合によってはとんでもないことになるというごもっともな内容ですが、さてここから先がちょっとおかしくなります。

十日深夜、コザ市のあるサロンで起こった傷害事件、

県会議員と村会議員、現職の警官にかかわるもの

だが、その発端は沖縄の方言でいうカーハガリンドウというものであったという。カーハガリンドウをそのまま日本語に直せば皮をはいでやるぞということになる。これは日本語としては大変乱暴なものであり、恐ろしい言葉だ。しかし沖縄の方言としていえば、穏当を欠く言葉かもしれないが、多分に愛きょうのあるものだ。

時と場合にもよるだろうが、沖縄の方言では、友人たちや、親しい仲間では時々そんな言葉はでてくる。ましてアルコールの入っている場合などはカーハガリンドウという言葉などはたいして問題にはならないだろう、と普通には考えられる。だがこんどの事件の場合には、県会議員、警官ということで大きな問題になってしまった(中略)。

ちなみにこの事件のあらましは下記参照ください。

(中略)これまでの県警の調べによると、事件のあらましは顔面打撲で鼻骨骨折のケガをして普天間署のF巡査は(同月)九日午後九時三十分ごろ事件のあったコザ市中の町のサロン「おおさか」に現れ、洋酒を半分、ビンごと注文しジュークボックスの軍歌に合わせ、歌っていた。そこに午後十一時五分ごろ美里の自宅で一杯ひっかけたO兄弟ら三人がほろ酔いかげんで歌を歌いながら入ってきた。三人は店の一番奥のボックスのシートについた。

O県議がカウンターで軍歌を歌っているF巡査を見つけ「いまどき軍歌を歌っているのは珍しい」とグラス片手に巡査のところに近づいてきた。しきりに話かけるO県議にF巡査が「他人の酒は飲めない」と冷たくあしらった。いったん自分のシートに帰った県議はマダムに「ジュークボックスでリバイバルをやってくれ」と注文、軍歌を歌い続けるジュークボックスとF巡査をシリ目に三人は大声でリバイバルを歌った。

これに対し、巡査が

「ウルサイ、カーハガリンドー」

とどなったため、県議が「だれのことか」と方言でいい、F巡査の前にツカツカと歩みよったところで、弟の村議がきて、いきなり取っ組み合いになったようだ。先にだれが手を出したかについては、まだ、はっきりしていないがマダムやホステスらが仲裁にはいった。マダムの久高良子さん(三八)は警察の調べに「警察官だといえばケンカが静まるものと思いOさんにいった」と話している。(ところが)

マダムから警察官だと聞いたがいきりたち、

外に出ていくF巡査を追っていた。続いて連れのIさん(四一)も階段をかけ降りていった。店の外の路上でも取っ組み合いを演じたようだが県警では詳しいことがわからないとしている。

引用元:昭和48年11月13日付琉球新報9面

この事件の流れからすると、この暴言(カーハガリンドー)はアルコールが入っていても思いっきり問題で、愛嬌なんて1㍉もありません。もっとも酒のトラブルで警官と県議・村議が暴力事件を起こす時点でアウト判定の案件ですが、さてこのコラムの〆は下記参照ください。

この事件を評して、極めて次元の低い問題だと評する人がある。

最も沖縄的な事件だ

という意見もある。どちらも当っていよう。公式的に解釈されれば、ご説ごもっとも、というほかにない。

しかし、わたしたちが考えたいのはタックルサリンドウとかカーハガリンドウという言葉にたぶんユーモアを含んだ言葉だということだ。額面通りにそれを受け取って、ケンカザタになるような、ユーモアの欠けた社会はさびしい。世の中がこれ以上ギスギスしたものになるのを恐れる(丙)

このコラム執筆者のまとめの無理矢理感に悲しい何かを感じるブログ主でありますし、そして昭和の酔っ払いの恐ろしさを痛感したブログ主であります。

最後にこの県議と村議の兄弟とは

小渡三郎・良敬さん

のことであります。(終り)

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