コザの街エレジー(13) 質屋

T君がコザで質屋を開いてからもう6年にもなる。PAWN SHOPと看板をかかげ、格子囲いのカウンターの中に座って質草をとる商売も仲々楽ではない。

「もう少し出してくれんか」とカメラを措いて100円でも多く借りようとねばる外人兵。

ハーニー共々やって来て、片身の指輪だから決して流してくれるな、必ずペイデーには取りに来るからと泣きそうな顔で指輪をはずすハーニーさん。

人助けにもなれば人殺しにもなるこの商売。最初は若いものがこんなことをしてと女の子にももてず、男の友人からも、何も高利貸しをしなくても……などといわれ、肩身の狭い思いをしたこともあったが、いつのまにか、金もうけの楽しさにそういう事も忘れ、向うでもT君が金持ちになったとわかると自然いい顔をするようになった。なれぬ間は、ガラクタの金側時計を質草に高級時計だという黒人さんの言葉を信用して5,000円を貸した所、それが2,000円だったり、ウォルサムだといって8,000円で取った時計が盗品だったり、借りるときは1円でも多く多くと、頭を下げて「サンキュ」を連発する奴が、いざ金を払うときは利子が高いの、やれ質草をいじったのと文句が多い。

客の殆どが外人 / 女のために何でも質草

T君は5~6カ年前のもうけやすかった頃をいつも思い出す。あの頃はなれない為めに失敗も多かったが、もうけも多かった。

〇……20,000円近いキャノンを或る黒人兵が人質した。9,000円貸した。期限が来たがこの黒人兵は来ない。2カ月が過ぎてから、この黒人兵は質受けに来た、だが元利あわせて12,000円だといったらその黒人兵は、しばらく考えていたが「俺に2,000円現金でくれ、そしたらそのカメラは君にやる」と申し出た。T君は考えた。

結局2,000円やってカメラは売物に出した。翌日その黒人兵が早朝から来てそのカメラを売ってくれといって12,000円を出した。

「18,000円で売るよ」といってもこの黒人兵は聞き入れない。「君は昨日12,000円といったじゃないか」という。その後で2,000円もらったのを忘れたのか、T君を馬鹿にしてのいい訳か、T君は一日中おかしくて仕方なかった。その写真機は翌々日に16,000円で売れた。

〇……3年前の冬の事である。タクシーで乗りつけた米兵がいた、あたりをはばかり乍ら降りて来たその兵隊は軍服のジャンパー(上着)をくるんで小脇にかかえていた。窓口から急いで中に押し込んで、今度は時計をはずした。

上着をひろげてみると中尉の肩章が光っていた。3,000円借りて出て行った。タクシーは誰かを乗せたまま待っていた。男?女?今でもそれはわからない。若い将校は翌日早速質受けに来ていたがきわり悪げに笑っていた。

〇……帰国前にハーニーにくれた指輪。時計等を質入れさせて、飲んだりくったりしてそのまま帰ってしまう悪どい奴もいる。

T君の窓口を通していろいろなものが出たり入ったりする。

衣類、貴金属、ギター、電蓄、ラジオ、時には自家用車を質にとったときもある。

お客の大半はいや90㌫までが外人さん。

月の始めごろ、ペイデーにはどっと金が入って来たかと思うと、ペイデー1週間後からは又品物が入ってくる。ひどいのになると、今朝質受けした時計をその晩、預けにくるのもいる、自分で持っているときよりT君の質庫に入っているときが長いなんていうのが相当いる。

ハーニーさんのお客もずいぶんいる。今では顔なじみだ。

T君はパチパチ、ソロバンをはじきながらあの子と一緒だった米兵は今ごろ本国に帰って何をしているのかなと思う。また、いつか靴まで質に入れて女とタクシーで去ったジミーは、本国に行ってもやっぱり質屋通いをしているかなーと考える…(Y)(昭和32年9月29日付琉球新報夕刊03面)

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