フェイクニュースへの対策

近年ネット上でよく見かける単語に”フェイクニュース”があります。一昔前の”デマ・中傷”のことですが、今と昔との大きな違いは情報伝達の範囲とスピードで、あっという間にニュースが広範囲に拡散されることでしょうか。それゆえフェイクニュースによっていったんレッテルが張られると、それを取り除くことが困難を極めます。情報発信の自由が拡大したことによる副作用とも言えます。

フェイクニュースの本質をサイコロに例えてみると、例えば賽の目が1と出た場合、「1の目が表示された」と表現したらセーフであり、「1の目しか表示されない」と発言したらアウトです。「1の目しか表示されない」との表現は明らかに何らかの意図をもって事実を歪曲しており、これが巷のフェイクニュースの典型例になります。事実をねつ造・歪曲する「意図」を察知できるか否かがフェイクニュースを見破る手段の一つではありますが、現実に一般の市民では”隠された意図”を見抜くのは極めて難しいのではないでしょうか。

平成30年(2018年)12月6日付『琉球新報』のコラム〈金口木舌〉において、「在日コリアンへのヘイトでもフェイクニュースで差別をあおる言説があふれる。見ていると妙な共通点に気づく。政府の方針に対峙(たいじ)したり、批判的だったりする発言に攻撃が集中するように見える」と述べていますが、ブログ主はこの解釈をもう少し押し広げて「何らかの結論があって、それに合致する事実を貼り付けする思考の持ち主」がフェイクニュースを発信する傾向があると考えます。琉球新報の仮説では「反政府的言動を防ぐために意図的に情報を発信する」ことがフェイクニュースを発信する唯一の動機との誤解を招いてしまいます。

具体例として、沖縄県民にとって一番なじみのフェイクニュースは県民大会における「(主催者発表)何万人」の報道です。大会成功をアピールする意図をもって(主催者発表をお茶を濁していますが)数字を盛って大々的に報道しているのは明々白々ではありませんか。政府の方針に対峙したり、批判的だったりする発言以外にもフェイクニュースを発信するケースはあるのです。

では我が沖縄県民がフェイクニュースの脅威に対抗するにはどうするか、一番簡単な方法は「~である」と「~であると言っている」ことの区別を明確にすることです。人間は「事実」を信じるのではなく「~さんが言っているから信じる」のであって、この区別があいまいな人たちがフェイクニュースに騙される傾向があります。現代社会は情報が氾濫していますので、それに対してファクトチェックを行うことは極めて困難です。それ故に現代人は事実と伝聞との区別を厳格にする必要があるのです。

最後に沖縄2紙を含む既存マスコミはフェイクニュース対策として、「このサイコロは1の目が表示された」ことだけを報道する傾向があります。事実は伝えているけどそれ以外は伝えない、いわゆる「報道しない自由」を行使することで誤報を防止せざるを得ない、それほどまでにファクトチェックは困難を極める作業であることが分かります。ただし報道しない自由はマスコミ各社の大人の事情に左右される傾向がきわめて強く、それ故に既存の報道に不満な階層が結果としてネット上のフェイクニュースに振り回されているのではとブログ主は思わざるを得ません。(終わり)

【参照リンク】平成30年12月6日付『琉球新報』電子版 〈金口木舌〉ヘイトの源流とは

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