マウント話法

巷には “ウィグル話法” なるパワーワードがあるようですが、恥ずかしながらブログ主は今月5日まで寡聞にして存じませんでした。参考までに阿部岳氏(沖縄タイムス記者)のツイッターによると、

“ウィグル話法は、ウィグル族の人権を守ることが目的ではなく、別の人権問題から目をそらすことが目的。本当に人権を守りたい人は、全ての問題を尊重する(以下略)” と記載されていました。それに関して今月5日の大弦小弦に興味深いコラムが掲載されていましたので全文を書き写しました。読者のみなさん、是非ご参照ください。

大弦小弦

「とるすきたん」と、男性は言った。那覇の街頭で自ら掲げた水色の旗が何の旗か、答えられないのだ。「違います。東トルキスタンです」と伝えた▼現在の新彊ウィグル自治区にあった国で、旗は中国政府のウィグル族弾圧に抗議する象徴となった。ところが男性はその旗を中国人に対するヘイトスピーチの場に持ち込み、差別に利用した▼他者を知ろうともせず、その犠牲をただ利用するのは恥ずべきことだ。「利用していませんか」と聞くと、男性は「そうです」とあっさり認めた▼「ウィグル話法」という用語がある。人権の議論に突然「ではなぜウィグル族弾圧を批判しないのか」と割って入ることを指す。ウィグルのためではなく、別の人権問題から目をそらすため。本当に人権を守りたい人はそんな言動には出ない▼20年ほど前、ウィグルを旅行した。ウィグル族の親切なガイドから中国人より日本人と思われた方が安全だと聞き、中国政府による迫害の一端を垣間見た。今や「ジェノサイド(民族大量虐殺)」とまで呼ばれる蛮行は、厳しい非難に値する▼沖縄では日本による基地押しつけ、外国人ヘイトが起きている。まず目の前の人権侵害を根絶することは、他者の人権を守ることともつながっている。沖縄かウィグルか、ではない。沖縄でもウィグルでもどこでも。(阿部岳)

引用:令和3年4月5日付沖縄タイムス1面

上記引用のコラムは確かにうなずける内容であり、たとえば “他者を知ろうともせず、その犠牲をただ利用するのは恥ずべきことだ” の一節はまさにその通りであります。そして “他者を知り己を知る” ことができない輩が人権問題を唱えても説得力がないのは至極当たり前であり、その手の輩が多いから数多の人権問題は解決しないのかと思いつつ、上記のコラムを読みかえすにうちに “ある違和感” がふつふつを湧いてくるのを感じました。

それは冒頭の一文 “「とるすきたん」と、男性は言った。” の部分で、あえて男性の無知を印象づける書き出しになっているのです。具体的には “他者を知ろうともせず、その犠牲をただ利用するのは恥ずべきことだ” の部分を強調するための枕詞的な役割を担っています。コラムの主旨は正論そのものなので、そんな枕詞を導入する必要はないと思いましたが、実はこのやり方は相手に対して “マウントを取る” ために極めて有効な手段なのです。

ハッキリ言って上記コラムは、まずは相手のミスにつけこんで優位な立場を確保した上で、正論を畳みかけているのです。いわば “マウント話法” で揚げ足取りが好きな輩がよく使う論調です。だからコラムを読むと一種の “パワハラ的印象” を受ける読者もいるかもしれません。読み終えたあとの “残念感” はまさにこの点にあるかと思われます。

相手のミスに乗じて自分の正しさを強調し、その正論こそがお前のためになるという発想はどこかで見聞きしたことがありませんか。そう、

部活で問題を起こす指導者の典型例なのです。

ブログ主は阿部岳氏が新聞記者でよかったと変な安ど感を覚えつつ、今回の記事を終えます。

 

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