二重思考とりうきう独立芸人

前々回の記事「我が沖縄が “独立” できない理由」を公開したところ、予想の斜め上をいく反響がありましたので、今回はりうきう独立芸人の「意識の底にあるもの」について、ブログ主がついうっかり気が付いた点について言及します。

実は、以前から琉球独立の言論について疑問に思っていた点があり、それは「日本人」であることと「琉球人」であることが、ホントに両立するかという点について、彼らから言及がないことです。

参考までに伊波普猷先生の論理であれば、日本人であることと琉球民族であることは両立できます。それは伊波先生が大日本帝国を「薩摩からの圧政&りうきうの旧慣習からの解放者」かつ「日清・日露戦争の戦勝国」として捉えているからであり、それゆえに彼は『琉球見聞録』の序文において、「琉球史の真相を知っている人は、琉球処分の結果、所謂琉球五国は滅亡したが、琉球民族は日本帝国の中に入って復活したことを了解するであろう。」と喝破したのです。

ところが令和の今日では「沖縄は(日米によって)差別され続けている」との命題により、日本(およびアメリカ)とりうきうは対立関係にあります。それ故に「日本人」であることと「琉球人」であることは両立しないはずです。わかりやすく説明すると、差別する側の「日本人」と差別される側の「琉球人」を同一個体に有するのは明らかに矛盾するからです。

ところが、りうきう独立を唱える輩はその矛盾に気づいていないよう見受けられるのです。

一例を挙げると、前々回の記事で取り上げた琉球人アイデンティティの名護市議さんですが、かれは「日本人」の義務(勤労・納税・教育)を全うしているが故に「被選挙権」という権利を享受・行使できたからこそ、市議として活動している訳であり、つまりブログ主から見ると “理想的日本人” そのものです。

だがしかし彼は、ツイッター上で「琉球沖縄を侵略したのは中国ではなく日本と米国で、今も植民地支配している」ことは事実であると呟いていおり、そうなると彼は、(理想的)日本人として社会生活を営むことによって日本のりうきうに対する植民地支配に加担する「自己」と、かつ琉球人として(日本から)差別され続けているという「自己」が同一個体に存在するということになってしまいます。

そして、そのことに何の違和感も抱いていない。

この点は前述の名護市議さんに限った話ではありませんが、それでは「差別者(日本人)」と「非差別者(琉球人)」が同一個体に有する矛盾を彼らはどうやって解決しているのでしょうか。その解答の一つが、ジョージ・オーウェル著『1984』に登場する “二重思考” であり、小室直樹博士の著書から引用すると、

二重思考とは、日本人がよくやる「タテマエとホンネの使い分け」のように思えるが、実は、もっと深い意味を持っている。

オーウェルが言った二重思考とは、

同時に、あい矛盾する二つの信念を心にもち、しかも、その両方とも正しいと思う能力

のことである。

引用:日本の「一九八四年」(PHP研究所)170㌻

とあり、さらに小室博士は「自分が現実をごまかしていることは知っている。しかし二重思考を使って自分の考えていることは正しいと自分自身を納得させるのである」と述べ、「かくのごとく、見事としか言いようがない自己欺瞞こそ実に二重思考の底にあるものなのである。」と〆てます。

なお、りうきう独立芸人さんは、自己の行動様式が二重思考であり、意識の底に自己欺瞞の精神があることに気が付いていません。

だから彼らの言動はじわじわくるのです。

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