住民に迷惑かけない – 上原秀吉組長と一問一答

本日ブログ主は首里城公園の新春イベントを見学しました。その様子は後日アップすることにして、ブログ主的に首里桃原と言えば “第四次沖縄抗争”“上原勇吉自宅” のイメージが強いため、今回はそれに関連して昭和51年(1976)12月18日付琉球新報朝刊に掲載された上原秀吉(勇吉実弟)さんのインタビューを紹介します。

ちなみに秀吉組長のインタビューが掲載された経緯を説明すると、きっかけは同年12月9日付琉球新報朝刊11面に “那覇に山口組の看板 / 県警は警戒 – 上原一家が杯受けて” と題した記事が掲載された件です。参考までに全文をアップしますのでご参照ください。

那覇に山口組の看板 / 県警は警戒 – 上原一家が杯受けて

昨年2月、国頭村楚洲で旭琉会反主流派、上原勇吉組員3人が射殺され、この後、上原は本土に逃亡していたが、さる6日、那覇市安謝に上原一家が看板を掲げた。上原組はすでに山口組系大平組からサカズキを受けている。このため、県警捜査二課と那覇署刑事二課では内偵捜査を続けているが、抗争事件が起こることが予想される、として警戒を強めている。

那覇署の調べによると、本土に逃げていた上原勇吉一家の組員(約20人)が11月末から同市安謝に進出、事務所を去る6日に開き、「山口系大平組直系上原組」と堂々と看板を掲げた。現在、旭琉会の会長など最高幹部は殺人教唆、また、恐かつなどで逮捕されなりをひそめているが、上原一家が看板を掲げたことから抗争が激化すると見られている。今のところ、上原勇吉は姿を見せないが、近いうちに姿を現す可能性も出て来た。また、組員は県人で構成されているが、いったん事が起これば、山口組からの応援もあると県警は見ている。

県警では上原勇吉が大阪の山口組系に身をひそめているという情報は得ていたが、いきなり、看板を掲げたことにア然としている。現在のところ、旭琉会から上原一家に対して殴り込みなどは発生してないが、すでに旭琉会も上原一家の旗あげを知っていることから、今後、暴力団抗争が起こるのは必至と分析している。なお、県警や那覇署では上原一家の動静を監視するとともに、なにか事が起こればただちに逮捕していく方針。(昭和51年12月9日付琉球新報11面)

その後山口組の那覇市安謝への進出は思いがけない展開になります。上原組にビルの一室を貸した所有者が12月15日午後に裁判所で契約無効の手続きを行ったのです。同月15日付琉球新報の記事によると、

きょう立ち退き申請

広域組織暴力団・山口組の沖縄進出で、ビルの一室を占拠された格好になったビルの所有者・那覇市安謝〇〇〇、比嘉某さんは、これまで再三に渡って立ち退きを頼んでいたが、らちがあかないため、15日午後にも裁判所で契約無効の手続きをとることにしている。

山口組が事務所を構えたのは同市曙3の20の3にある比嘉さん所有の3階建てビルの最上階。これまでの調べによると先月20日に、Kと名乗る男が比嘉さんを訪れ、食料品販売の事務所として月7万円の契約で借りた。その2日後には店内を改装すると言って材木を持ち込み、あっと言う間に外敵に備えバリケードを築いた。またビルのカベにはヒシ型の山口組の看板が取り付けられ、入り口には「上原組沖縄県本部」の看板が出された。

入居者が暴力団と知った比嘉さんは、弁護士にも相談して立ち退きを頼んだが、聞き入れてくれなかったという。

とあり、翌16日付琉球新報9面によると

(中略)比嘉さんの建物は昨年12月に完成。いま暴力団がはいっている3階は、ことし10月から前の借り主がひきはらって空いていた。そこに川口と名乗る男から「お宅の3階を貸してほしい」との電話をもらい、さる11月20日に契約した。

比嘉さんは「はじめ来た男は礼儀正しい男でとても暴力団には見えなかった。男は食料販売の仕事をすると言い、仕事熱心なしっかり者にみえた」と言う。「バリバリ働きたいので寝泊まり出来るよう少々改造したい」とも言ってきたので承諾し敷金7万円と12月分の前家賃として7万円、計14万円をすぐに支払ってくれたと言う。

契約してしばらくすると3階の事務所に出入りする者の数がふえ

へんなマーク(山口組の紋章)が表にとりつけられたり

「上原組沖縄県本部」と書かれた看板なども掲げられ

「おかしいな」

と比嘉さんが感じたときにはすでに暴力団のアジト化していたようだ。

また後でわかったことだが、契約書の保証人も暴力団員で比嘉さんは完全にだまされていた。このため、比嘉さんは契約した男に「約束が違う」として再三出ていくよう求めたが「金をかけて改造したし、まじめに働くつもりだ」と相手にしてくれないと言う。暴力団が入ってきてからは2階の空き部屋の借り手も見つからず、1階の理髪店もいつ暴発するかしれない抗争事件の恐れで客足もガタ落ちしているという。

とあり、つまり上原組は契約段階で比嘉さん(家主)を騙して山口組の看板を掲げたのです。参考までに裁判所に起こした契約無効の手続き(仮処分申請)は、同月24日に那覇地裁が家主の主張を全面的に認めて、翌25日に上原組は安謝のアジトから強制立ち退きを執行されてしまいます。そして首里桃原の上原勇吉宅へひきこもるわけです。

それを踏まえて同月18日付琉球新報に掲載された上原秀吉組長のインタビューをご参照ください。

じわじわきます。

住民に迷惑かけない / 上原組長と一問一答 / 看板は下ろすつもり

山口組系上原一家の沖縄進出に伴い、地元の組織暴力団・旭琉会との抗争を恐れた地域住民の間から、暴力排除の機運が次第に高まってきた。このような状況を、上原一家はどう思っているのか。上原秀吉組長に聞いてみた。一問一答は次のとおり

- 沖縄に来て事務所を開き、山口組の看板を掲げたのはなぜか。

上原組長 元の上原一家の組員が、旭琉会に短銃で追われているため、それを守るために代紋を掲げて事務所を開いた。

- 11日に旭琉会の組員とトラブルがあったが…。

上原組長 私は抗争事件をおこさないように努めている。あの日の事件は、相手(旭琉会)が3階の事務所まで上がって来たので話し合いをするつもりだった。こっちが被害者だ。

- 地域住民が排除運動を展開しているが。

上原組長 カタギとはケンカをするな。相手に殴られても黙っていろと注意している。もしケンカしたなら、組から除名するといつも注意している。地域じゅうみんには絶対、迷惑をかけない。

- 家主から契約無効の仮処分申請が出されているが。

上原組長 私は家を借りた川口と一緒に仕事をするつもりだ。そして若い者を定職につけさせ、沖縄に根をおろし、みんなを結婚させて足を洗わせるつもりでいる。いつもぶらぶらしていたのではだめになる。相手の弱みにつけ込んで、金を脅し取るようなこともしない。

- 上原一家は暴力団か。

上原組長 警察が暴力団とみているからしょうがない。確かに前は暴力団で、今の代紋もそうだし……。でも私は暴力団だとは思わない。弱気を助け強きをくじく、任侠(きょう)道に生きる正義の味方だとおもっている。

- 地域住民が最も心配しているのは、旭琉会との抗争事件による住民へのトバッチリだが。

上原組長 こちらからは絶対に手を出さない。私は話し合いで解決したいと思っているが、相手はどう思っているのかわからない。地域住民には迷惑をかけない。

- 組をたたんで、大阪へ帰る気はあるのか。

上原組長 私一人では決定できないので、近く大阪へ行ってよく相談してくる。

- 沖縄から引き揚げるとみていいのか。

上原組長 そう見てもいい。私の考えとしては、看板をおろす方向で相談に行くつもりだ。(昭和51年12月18日付琉球新報朝刊13面)

 

SNSでもご購読できます。