前回の記事において、アメリカ世時代の傷害事件の一例を紹介しました。それを踏まえて昭和40年4月16日の勝連村松島料亭街での殺傷事件について振り返ってみると、刃物による傷害事件が多発していた同時期においてもこの事件は “異常” の扱いを受けています。
沖縄ヤクザ関連
琉球住民と刃物(1)
昭和40年(1965)4月16日深夜、勝連松島料亭街で発生した殺人事件に絡んで、これまで自警団の歴史について言及しました。今回からアメリカ世における「刃物による刺傷事件の多発」について言及します。
深夜パトロール同行記
那覇署は〔昭和37年8月〕4日午後11時から旧盆を前にしての防犯取り締まりと、特飲街の実態調査に乗りだした。初日の4日は、杉原総務課長、照屋外勤係長、外間巡査部長ら総勢およそ20人、明け方の5時まで盛り場の巡視を行った。
勝連と自警団
前回の記事において、(現時点で)ブログ主が所持している史料を基に、アメリカ世時代の自警団の歴史について言及しました。ここで強調しておきたいのは、自警団はあくまで地元側の要請が不可欠であり、那覇派やコザ派のアシバーたちが勝手に「作りたい」といっても出来ない代物であることです。
りうきうの自警団
(続き)今回は昭和40年(1965)4月16日、勝連松島料亭街で起こった殺人事件に関して、ちょうどいい機会なのでアメリカ世時代の「自警団」について言及します。
“きちがいに刃もの”
のたとえのとおりしりょぶんめつのないものが刃ものを持つと危険このうえない。勝連村の松島料亭街を凶器を持って襲った暴力団員たちも思慮の全くない一種のきちがいというべきで、あのような惨事をひきおこした(下略)
又吉世喜さんについて知っていること(2)
前回アップした記事「又吉世喜さんについて知っていること。」に関し、今回は裏付け史料を公開します。又吉に関してはブログ主が所持する史料から昭和38年(1963)までは正確に追跡できるので、数多くの史料から彼の “実像” に迫る内容のものを厳選して公開します。
昭和の沖縄ヤクザの “弱点”
3年ほど前、ブログ主は山口組がなぜ沖縄進出に失敗したかについての考察記事をアップしましたが、今回は「なぜ沖縄の組織は本土に進出しなかったか」について言及します。
続・俺が調子に乗ってとある組織の “代替わり” を語ってみよう
昨日、俺が調子に乗ってとある組織の “代替わり” を語ってみようと題した記事を配信し、旭琉會の新体制の今後について言及しました。ただし記事配信後に改めて気づかされたことがあり、今回 “続編” としてまとめてみました。
俺が調子に乗ってとある組織の “代替わり” を語ってみよう
既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、今月9日の沖縄二紙に「旭琉會トップ糸数氏が就任」と題して、二代目會長に糸数真氏が就任した旨の小さな記事が掲載されていました。正直なところ、公開情報が少ないためあまり乗り気ではありませんが、代替わりした旭琉會の今後をブログ主なりに検証しましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。
又吉世喜さんについて知っていること。
ご存じのとおり、今年は昭和に換算すると100年の節目ですが、”スター” こと又吉世喜さん(1933~1975)がお亡くなりになって50年目であることを知る人は少ないかと思われます。そこで節目の年の企画として、又吉(以下敬称略)に関するまとめページ作成を思いつきました。
昭和のセンス
今回は沖縄ヤクザに関連して、昭和の新聞記者のセンスが伺える記事を1つ紹介します。以前、当ブログでも紹介した昭和50年(1975)2月に起きた「楚洲事件」に絡む続報ですが、現代ではとても思いつかない「題字」が極めて印象的なので全文を書き写しました。
富永清さんと回状
今回は、ひさびさに沖縄ヤクザ関連の記事をアップします。実は、昭和49年(1974)10月、全琉を震撼させた「旭琉会理事長射殺事件」に関連する新聞史料をチェックしていたところ、ついうっかり気になる小記事を見つけてしまいました。
俺が調子に乗って “懲役太郎” の動画を検証した結果 〈1〉
今回は、ちょっと趣向を変えてというか、当運営ブログ初のケースですが、とある YouTube の動画の検証記事をアップします。ご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、懲役太郎チャンネルにて3年前に公開された『旭琉會【局地戦最強の沖縄のヤクザ】』を視聴したところ、全体としてはだいたいあっていますが、一部に認識違い等がありましたので、ブログ主が所有している書類を元に、訂正あるいは補足記事をまとめてみました。
【先行公開】第二次沖縄抗争の考察
先日、ブログ主はこれまで蒐集した史料を整理したところ、暴力団第二次抗争(山原派vs泡瀬派)に関する新聞史料を多数所持していることに気が付きました。改めてチェックしたところ、暴力団第一次抗争(那覇派vsコザ派)と明らかな “違い” が目についたので、試しに当ブログにてまとめてみました。