沖縄ヤクザ関連

【追悼】糸数真會長の経歴(3)

(続き)前回の記事において、出所後に沖縄旭琉会に復職した糸数さんについて言及しましたが、第六次沖縄抗争(1990.9~1992.2)から10年以上を経過したころには、(当時分裂していた)沖縄旭琉会と三代目旭琉会との幹部交流が再開します。その流れで糸数さんと三代目旭琉会沖島一家に所属していた知念秀視若頭との付き合いが始まり、最終的には狩俣重三さん(沖縄旭琉会功揚一家若頭)も含めて五分の兄弟分となります。

※このあたりのエピソードは「旭龍」からの引用になりますが、必要に応じて他史料も参考にしています。

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【追悼】糸数真會長の経歴(2)

(続く)前回の記事において、糸数真會長の青年時代の経歴について言及しましたが、今回は皆さん(特に党運営ブログの読者であれば)ご存じの昭和57年(1982)10月9日未明の多和田真山旭琉会会長(当時)射殺事件について触れます。

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【追悼】糸数真會長の経歴(1)

今月19日早朝、沖縄市諸見里の4代目富永一家の事務所にて火災が発生し、身元不明の遺体が発見されたとの報道はご存じかと思われますが、後にその遺体が糸数真會長であったことが判明し、沖縄はおろか全日本のアングラ界に衝撃が走りました。

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間抜けな “戦士” たち

先月16日の辺野古沖転覆事故に関する記事のアップし続けたのが影響したのでしょうか、最近気分が重たい感があるので、今回は気分転換がてら “スカッと爽やかな” 60年前の沖縄ヤクザ関連の記事をアップします。

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暴力追放 ① 表面に出ない幹部 / 住民の協力を呼びかけ(2)

今回は前回の『暴力追放①』の後半部を紹介します。ブログ主が見た限り特に目新しい記述はありませんが、気になる点をふたつ補足します。一つ目は「表面にでない暴力の根を断てばすむことだが※(以下略)」の箇所について、実は昭和37年(1962)に琉球警察はそれをやって大きな成果を上げています。にもかかわらず “反社会的存在” が再興するのは、琉球社会の現実が彼らの存在を “必要” としていたからです。

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暴力追放 ① 表面に出ない幹部 / 住民の協力を呼びかけ(1)

当運営ブログにおいて、初めて沖縄ヤクザ関連の記事をアップしたのは平成30年(2018)4月であり、これまで126のコラムを掲載してきました。そこで今年から沖縄タイムスや琉球新報に掲載された(沖縄ヤクザ関連の)特集記事を公開しつつ、”現在の視点” での解説を加えてみました。

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琉球住民と刃物(2)

前回の記事において、アメリカ世時代の傷害事件の一例を紹介しました。それを踏まえて昭和40年4月16日の勝連村松島料亭街での殺傷事件について振り返ってみると、刃物による傷害事件が多発していた同時期においてもこの事件は “異常” の扱いを受けています。

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琉球住民と刃物(1)

昭和40年(1965)4月16日深夜、勝連松島料亭街で発生した殺人事件に絡んで、これまで自警団の歴史について言及しました。今回からアメリカ世における「刃物による刺傷事件の多発」について言及します。

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深夜パトロール同行記

那覇署は〔昭和37年8月〕4日午後11時から旧盆を前にしての防犯取り締まりと、特飲街の実態調査に乗りだした。初日の4日は、杉原総務課長、照屋外勤係長、外間巡査部長ら総勢およそ20人、明け方の5時まで盛り場の巡視を行った。

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勝連と自警団

前回の記事において、(現時点で)ブログ主が所持している史料を基に、アメリカ世時代の自警団の歴史について言及しました。ここで強調しておきたいのは、自警団はあくまで地元側の要請が不可欠であり、那覇派やコザ派のアシバーたちが勝手に「作りたい」といっても出来ない代物であることです。

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りうきうの自警団

(続き)今回は昭和40年(1965)4月16日、勝連松島料亭街で起こった殺人事件に関して、ちょうどいい機会なのでアメリカ世時代の「自警団」について言及します。

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“きちがいに刃もの”

のたとえのとおりしりょぶんめつのないものが刃ものを持つと危険このうえない。勝連村の松島料亭街を凶器を持って襲った暴力団員たちも思慮の全くない一種のきちがいというべきで、あのような惨事をひきおこした(下略)

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昭和の沖縄ヤクザの “弱点”

3年ほど前、ブログ主は山口組がなぜ沖縄進出に失敗したかについての考察記事をアップしましたが、今回は「なぜ沖縄の組織は本土に進出しなかったか」について言及します。

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