ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その20

□チビの加入と脱退 また(アメリカでレコーディングするとき)、紫のチビ(宮永英一さんのこと)が「カッちゃんアメリカ行くんだってな、僕も入れてくれ」といって来たんです。「アメリカに行って試してみたいよ。紫でも行けなかったしさ、紫解散してしまうし、コンディション二回目だろ、お願いカッちゃん、俺何でもやるから連れてってくれ」とチビがいうので、「おまえ本当にじゃエツーと仲良くしろよ」といったのに、

案の定どうした訳か、エツーとチビがしっくりいかなくて、それで東京に帰って来て、みんなの前で「チビ、本当は残ってほしかったけど、でも、話をしてみるとエツーのほうがやっぱり正しいし、申しわけないけど今回限りで」といって、チビには抜けてもらったんです。でも、本当は私の方がまだ甘かったと思います。

□鶏のステージングと米兵 ステージの上で🐔の首を切ったりするのは、一九六九(昭和四四)年ベトナム戦争まっさかりのころに辺野古で始めたんです。

映画「ブルースブラザーズ」の中で、金網がステージのとろこに張ってあって、演奏が下手だとテーブルとかびんとかコップとかが飛んでくるんです。でも、私たちの場合はには金網を張っていないので、バンドが下手だとそのまま飛んでくるわけです。ですから少しでも納得するように、リズムもアクセントも選曲も納得するようなものを選んでやらんと、もうたいへんなことになるんですよ。それで普通なんです。むこうは、こんな連中が「もう人をこんなに殺してきた、俺たち。あいつが死んだ」とか、もうそれこそ戦争のまっただ中の連中がいるから、私たちも彼らに「そうか、よく帰って来た。乾杯」といってやっていたわけです。

🐔はですね、そこの演奏会場のオーナーが「君たちが演奏したおかげでもうほんとに店は儲かったから、今日は鶏を三羽ぐらいつぶして、ディカ(さあ)丸焼きにしてみんなで食べようなー」といってきたわけです。タウチーじゃないけどおいしい🐔があるわけ、これをオーナーがごちそうしようということになったんです。

そのとき、私が「おやじ、こんな暗い裏のさ、ドブの側でさ、下水の側で首切るんですか。

かわいそうになあ。おやじ、これさ死ぬんでしょ。死ぬならさ、ディカ音楽の中でさ、スポットライトに照らされて、人から拍手をもらって、ひとり高いステージの上できれいにお膳立てして殺した方がいいんじゃないですか」

と話を持ちかけたんです。するとオーナーは「ヌー・アビトーガ・ヤーヤ。タッチラ・カチ、チー・ンジャサーニ・カイ、アチユー・ンカイ・イリヤー・ニ、カメー・シムシェー(何いっているのかお前は。たたっ切って血を出して、熱湯の中に入れて食べればいいさ)」といってきたので、また私は「そうしたら色気ン・クソンネー・ンシェー(色気もくそもないから)おやじ。

これをステージに持っていって、いいかあのアバラー(わんぱく者)たちの前でこれを口に入れて食いちぎるわけよ、

そしたらあいつらこのバンドはただ者じゃないってわかるさ。ワッター・ヒッチー普段ウシェー・ラットォー・クゥトゥ、ウシェー・ララン(俺たちはいつも普段なめられているから、なめられないように)」といってオーナーを説得したんです(続く)。

SNSでもご購読できます。