突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 昭和58年の記事より

今回は昭和58(1983)年の琉球新報から突っ込まざるを得ない記事を紹介します。同年4月2日、那覇市前島のスナックで旭琉会新和会々長が上原組々員に銃撃された事件をチェックした際にじわじわくる記事を複数見つけることができました。

ちなみに同事件は、新和会々長が前島のスナックからの帰りに待ち伏せしていた上原組の組員2人に銃撃され、その後会長が近くの居酒屋に逃げ込むも、そこで銃撃戦がくりひろげられるという無茶苦茶な内容で、改めて昭和の時代のレベルの高さを痛感したブログ主であります。詳細は後日改めて紹介することにして、まずは昭和58年の突っ込まざるを得ない記事をお楽しみください。

やべー奴

部落解放運動の朝田氏死去

朝田善之助氏(あさだ・ぜんのすけ=部落解放同盟元委員長)29日午前8時39分、心不全のため京都市上京区の京都府立医大付属病院で死去、80歳。京都出身。自宅は同市左京区田中馬場町、市営住宅1-10。葬儀は5月1日正午から左京区田中玄京町154、聞光寺(もんこうじ)で、告別式の日取りは未定。喪主は長男勝三(かつぞう)氏。

明治35年、京都市内の被差別部落で生まれ、大正11年の全国水平社創立大会に参加、部落解放運動、労働運動で活躍。戦後、部落解放全国委員会(30年に部落解放同盟と改称)の結成にも加わり、32年、死亡した松本治一郎委員長の後を受け、委員長に選ばれ50年まで務めた(大阪)(昭和58年4月30日付琉球新報17面)

参考までに Wikipeida のリンクを貼り付けておきますのでご参照ください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E7%94%B0%E5%96%84%E4%B9%8B%E5%8A%A9

剛速球

ホモに奇病が流行 / 米国で死亡率が40%

病気への抵抗力が急に低下し、ガンや肺炎、敗血症などを引き起こして死に至るナゾの感染症が米国で大流行、さらに欧州にも飛び火し流行の兆しを見せている。今のところ日本上陸の確証はないが、厚生省はその可能性もあるとして調査に乗り出すことになった。

この奇病は、生まれつき持っている免疫力が低下するため後天性免疫欠陥症(AIDS)と呼ばれ、男の同性愛好者の間で多発している。原因不明のうえ治療法はなく、死亡率も40%と異常に高いことから「現代のペスト」として恐れられている。

米ジョージア州後ランとの疾病対策センター(CDC)の集計によると、1978年に最初の患者が発見されて以来、患者は半年ごとに倍増しており、現在1339人が報告されている。このうち489人が死亡、AIDSと診断されて3年以上生き延びているのはわずか14%という。

AIDSにかかると、疲労、発熱、下痢など風邪に似た症状が現れ、その後免疫力が極端に低下、カポシー肉腫と呼ばれるガンや肺炎にとりつかれる。(昭和58年5月2日付琉球新報3面)

一般紙に “ホモ” という見出しが登場するあたりに昭和のゆる~い雰囲気が伺えます。現代ならこんな題字を掲載したらポリコレ警察の格好の標的になること間違いありません。

カチコミ

暴力団抗争エスカレート / 早朝那覇空港で60人乱闘

3日午前、那覇空港ターミナル前の路上で暴力団上原組の組員と、対立している暴力団旭琉会系の組員とが鉄パイプなどを持って殴り合うという乱闘さわぎがあり、旭琉会系の組員4人が凶器準備集合罪の現行犯で逮捕された。この騒ぎで、ターミナル内は一時騒然となったが、沖縄の表玄関である空港で、日中堂々と暴力団抗争が演じられたことに関係者は強いショックを受け、傍若無人の暴力行為に対する厳しい批判の声が出ている。警察でも、両派の対立がここまでエスカレートしていることを重視、今後厳しい取り締まりを行うことにしている。(中略)(昭和58年5月4日付琉球新報17面)

やはり昭和の時代はバカのレベルも3ケタぐらい違うなと痛感したブログ主であります。(終わり)

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