突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 大正編

今回は突っ込まざるを得ない大正時代の事件を紹介します。大正2年(1913年)に県庁放火(1月18日)東町大火(2月11日)という歴史的な事件が発生し、それに関連して『琉球新報』の記事をチェックしていると目を疑うような内容のニュースを複数目の当たりにしました。その中から3つほど記事を紹介しますがブログ主判断で旧漢字を訂正し、必要に応じて句読点を配置しています。読者のみなさん、気合を入れてご参照ください。

嫉妬の放火 ▷六十爺を色男と狙ふ

中頭郡北谷村伝道 848 田港三良(さんらー)と云ふ兵隊あがりは兵役満期帰後、同字内・小宇赤平、大城蒲(かまー)の娘カミ(24)を女房に貰ひ、入婿同様カミ実家に住み農業の手伝いをなし居たるが、(三良は)根が大の嫉妬屋にてカミが隣家に住む石川加那(66)と云ふ独身爺に心安く話し、時々爺の遣(い)に行きしを面白からずと思ひ居る中、去る晩カミは何気なく爺の家に立ち寄り居るを夫三良が見て「姦通せり」と(早)合点し、カミを引出して忽ち夫婦大喧嘩となり、その後三良は自家に帰りて表面離縁の様になりしが、これが嫉妬の喧嘩にてカミのことを思ひ切れず、去る夜お酒に酔ふや先夜カミとの夢を思ひ出したれば、目尻を下げてヨボヨボ(と)カミ実家を訪ねしに、カミ親子は既に愛想を尽かして取合はざるに、三良は大に怒り散々乱暴をなしカミ及(び)父蒲が驚いて逃出してると、「こんなことになりしは全く隣りの爺がためなり、怨みに家を焼き捨て呉ん」と独語しつつカミ宅を出て直ぐに隣家にある石川加那の家に至り、マッチを摺って茅葺屋根に点火し忽ち一面の火災にならんとする所を、目取真亀(めどるま・かめ)外四人の通行人が見て驚き全焼に至らざる間に消し止めたり。右の事実は直にその村の駐在所巡査の知る所となり、三良は放火罪として昨日(大正2年1月27日)地方裁判所に起訴されたり。

引用:大正2年1月28日付琉球新報3面

大雑把に説明すると、嫉妬の度が過ぎて嫁から愛想をつかされた男が酒によって嫁宅で暴行を働き、しかも(勘違いの原因にもなった)隣の爺さんを逆恨みしてその家に火をつけるというトンデモないお話です。アメリカ世の時代まではこの手の酒乱が多数いたと聞いていますが、やはり酔った勢いで放火するのははいかんでしょと突っ込みたい気分になります。

つぎは変質者のお話です。ここからは要気合です。

七歲の少女を姦して負傷せしむ俳々男卽座に捕縛される。

これは宮古における恐ろしい俳々男(ひひおとこ)、本年取って七歳の少女を姦して局部に負傷せしめし物語なり。俳々男の素状は同郡伊良部村字佐和田 48 譜久村亀(ふくむら・かめ)と云、村内切っての助平とて年頃の女は道を避ける程の注意者なり。去る15日の午前2時、譜久村は何処よりか帰宅の途中、同村字長浜 53 新里恵貴(しんざと・けいき)宅に来て主人恵貴を呼び起こし、「自宅まで帰る(に)は遅いから夜の明けるまで止めてくれ」と頼むにぞ恵貴はかねての知人のこととて心安く承諾し隣室に休めしに、恰も同室には今年七歳の恵貴長女マツが前後不覚に熟睡し居たりしを、譜久村早くもこれを見て涎(よだれ)を流し生来の俳々根性忽然と湧き立ち、恵貴夫婦が寝静まるのを待ってこのか弱き少女の上に乗りかかり、マツが驚いて逃げんとすると力まかせに押え付け、まんまと終に獣欲を充たすに至れり。されば未だ物心つかぬマツは局部の傷(いた)さにこらえかね大声張り上げ泣き叫びたる物音に、恵貴はフト目を醒まし何事ならんと覗き見れば、今し譜久村が逃走せんとする所を気づきて取押へ、直にフン縛りて駐在所へ訴へ出でし次第なり。マツは血だらけになりて局部を傷め、数十日の疾病治療を要すべしと云ふ。さりとは呆れた物語ならずや。

引用:大正2年1月29日付琉球新報3面

古今東西、そして今も昔も変質者は存在する一例でしょうか。そして悲惨な事件ではありますが、「村内切っての助平」とか「譜久村早くもこれを見て涎(よだれ)を流し生来の俳々根性忽然と湧き立ち」という無駄に表現が巧なところに大正時代の新聞らしさを感じます。

芋堀中の姙婦を強姦す ▷天下切つての助平男

島尻郡粟国島産れ、当時国頭郡国頭村字奥間において一定の住所なき新里蒲(かま)(33)と云ふ男は、持って生れた助平根性にて粟国村でもよからぬことばかりなして村民の排斥を喰ひ、流れ流れて国頭の奥間に落ち付きしが、同所においても定まりたる住所なくアチコチぶらつきて只管女の尻を嗅ぎ歩き、お婆さんでも乳臭き少女でも何でも構はず怪しかる真似をなして追い落されしこと一再に止まらず、奥間字民は爪弾きして”真の助平根性の強き”を評判して大に警戒を加へ居たり。然るに昨年12月4日字奥間 925 山城久吉妻カマド(36)が小字帆原畑地において芋を堀り居たるに、恰も同所通行の蒲が見つかり犬の様にフンフン鼻を蠢かしてカマド傍近く寄り添ひ、物も云はず強制に押倒さんとすると、カマドは大に驚き、「自分は妊娠5ヶ月の身なれば荒立てる振舞してくれるな」と云ひながら声を限りに救ひを求めしも、何分人家離れの畑中とて他に見るものなく、蒲はカマドが泣き叫ぶに春情愈々湧き立ち遂に力まかせに押へてまんまと獣欲を遂ぐるに至れり。カマドはそれがため局部に負傷し医師の治療を受け、蒲は強姦罪として昨日(大正2年2月25日)地方裁判所において懲役5年に処せられたり。

引用:大正2年2月25日付琉球新報3面

ハッキリいってあまりの清々しいまでのクズぶりに唖然とし、そして強姦魔(真の助平根性の強さ)は今も昔も行動パターンが一緒だなと痛感します。「戦前の沖縄は治安がよかった」と歴史書などには記述がありますが、大正時代の新聞を見るとちょっと疑わざるを得ません(沖縄刑務所の収容人員が定員に満たなかったのは事実)。ブログ主はただ単に

捕まらなかっただけじゃねぇの?

と突っ込みたい気分になるのを抑えつつ、今回の記事を終えます。

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