血ぬられたゼネスト – 本物の暴力の恐ろしさ(1)

(続き)前回の記事で、昭和46年11月10日の “沖縄ゼネスト警察官殺害事件” に関して当時の新聞記事などを引用して事件のあらましを紹介しました。今回は同時期に発生した “コザ暴動” と違って、なぜこの事案についてマスコミは沈黙するか、ブログ主なりに説明します。

この事件がタブー扱いなのは、2002年5月に初版発行された宮里松正著『米国支配27年の回想 / 重要歴史年表 1945-1972』のなかで言及されていないことからも明らかです(ちなみに発行元は “沖縄タイムス社” です)。ゼネストを主催した復帰協(沖縄県祖国復帰協議会)にとっての特大クラスの黒歴史なので、沖縄の言論界が祖国復帰運動の栄光の歴史に傷をつけたくないとの気持ちは理解できます。

事実、11.10ゼネストは目的を達成していないのです。ゼネストの本来の目的は “沖縄返還協定批准反対” ですが、昭和46(1971)年12月22日、参議院において沖縄返還協定は賛成多数で可決されます。つまり復帰協が目標として掲げた “即時無条件全面返還” は達成できないどころか、ゼネスト実施時に死者が発生したのです。それゆえ、

復帰協主催のゼネストの結果、当時の琉球住民の間に深刻な “分断” が生じてしまった

案件を正面から取り上げるジャーナリストなんて県内には1人もいません。”権力に対しての大衆運動は正義である” というお題目に毒されているかぎり、沖縄の言論界からそんな勇気ある人物は金輪際誕生しません。これは断言できます。

そしてもうひとつ、この案件が闇に葬られた理由として、“本物の暴力に対する脅え” があります。この件は次回詳しく言及します(続く)。

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