見えない危機

先月26日付の沖縄タイムス内に、ブログ主の目に留まった記事がありましたので紹介します。ちなみに同日の記事は東京都の週末自粛要請や、春季高校野球の開幕、そしてタレントの志村けんさんの新型コロナウィルス感染などが掲載されてますが、その中で社会面(26ページ)に記載されていたある詐欺事件に関して気になる記述がありました。

記事一部を書き写しましたので読者のみなさん是非ご参照ください。

詐欺で暴力団を提訴

沖縄弁護士会有志 – 1千万円求め

警察官や金融庁職員を装った特殊詐欺事件に関わったとして、沖縄弁護士会の有志約20人が弁護団を結団し、指定暴力団旭琉會幹部に約1030万円の損害賠償を求める訴訟を那覇地裁に起こした。同種の訴訟は東京などで起こされているが県内では初めて。

提訴は昨年12月5日付。今月25日に開かれた第1回口頭弁論で暴力団側は事実関係を認めた。次回の5月8日に結審する見通しで、損害額を争うことになる。

訴状などによると、同暴力団員は特殊詐欺を首謀。警察官や金融庁職員を装って県内被害者からキャッシュカードを盗み、金融機関から現金を引き出した。暴力団はその後に逮捕・起訴され、有罪判決が確定している。所属する旭琉會の花城松一会長代行は暴力団対策法上の使用者責任を負うとして、弁護団が損害賠償を求めている(中略)

引用:令和2(2020)年3月26日付沖縄タイムス26面

ブログ主が気になったのは太字の部分で、つまりこの時点でまだ旭琉會は会長代行が組織を仕切っているのです。前年(令和元年)7月12日に富永清会長(当時)が亡くなったのは周知の事実ですが、それから8ヶ月以上トップか正式に就任していません。例えるなら県知事が不在で副知事が長期に渡って県庁を動かしているようなものです。

過去に二度トップ不在の時期があった

旭琉會の歴史を振り返ると、トップが不在になった時期が二度あります。最初は第四次沖縄抗争のときで、昭和50(1975)年10月に又吉世喜理事長(当時)が殺害されて、結果的に沖縄連合旭琉会の実力者がすべていなくなったのです(仲本善忠会長、新城喜史、又吉世喜)。その際には1年以上トップ不在の時期が続き、最終的には昭和51(1976)年12月に多和田真山理事(当時)が会長に就任して組織を運営することになります。

次は昭和57(1982)年10月の多和田真山会長殺害事件のときで、この時は翌年の昭和58(1983)年5月に翁長良宏氏が会長職を引き継ぐことでトップ不在にケリをつけました。これらの案件の共通点は、非常時の出来事であったことです。それゆえに今回のような”平時”で数ヶ月も跡目が正式に決まっていないのは、傍目でみるとすっきりしない感が拭えません。

だれが富永会長の跡を継ぐのか

現在組織を動かしている会長代行の花城松一さんは平成22(2010)年に四代目旭琉会の会長に就任する際、沖縄旭琉会の富永清会長(当時)が後見人を務めたのは有名な話です。平成23(2011)年11月に旭琉會の結成の際、花城さんは会長代行に就任し、現時点でトップとして組織を運営する(大義)名分は充分あります。

ただしあくまで”実質的”あるいは”事実上”のトップなのです。組織的にはやはり正式なトップが就任するのが好ましいのですが、いまだにそれができてない。それは何を意味するかといえば、ブログ主が思うに平成23(2011)年11月の組織再編(一本化)以降、富永会長が後継者を選ぶルールを想定してなかったのです。それは分裂した組織の一本化が難航極まる作業の連続だったことの裏返しです。

外部のブログ主には今後の動きについて正確な予測はできませんが、ただひとつ言えるのは、現在の花城会長代行に不測の事態が起こった場合、旭琉會は組織の一大危機に陥る恐れがあることです。そしてその際の対処を誤ると、現在の反社会勢力に対する社会の風当たりの強さを鑑みた場合、沖縄ヤクザの終わりの始まりになるのではと考えています(終わり)。

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