八重山日報 「調査の中で分かった西銘順治氏の存在感」の記事について思ったこと

5月3日の八重山日報のコラムに「フィクション世界の沖縄」と題した記事が掲載されていました。まずは全文をご参照ください。

2005年ボーダイングから「なんだこりゃ~沖縄」という本を出させて頂きました。私の人生の半分以上をかけた(または無駄使いした)漫画を中心にしたフィクション世界に登場した沖縄に関する調査の精華です。当時の調査で感じたのは、漫画の中の沖縄描写は80年以降観光地描写が増加することです。80年より前は、漫画の中の沖縄描写は(創作者の方には申し訳ありませんが)雑でした。情報を得るのが当時は厳しかったのもあるにせよウチナーンチュが九州弁を話したり(アストロ球団)とりあえずヤシやバナナを描けばいい(「真紅のボウラー」「ゴルゴ13」)というやっつけ仕事に見える描写が多かったのです。

登場人物のセリフが無ければそこが沖縄なのかは分からない作品が目だちました。

それが80年以降、沖縄の観光地が描かれる頻度が高くなります。本を出した当時も、その原因について考えたのですが、謎が解けぬまま時が流れ2010年、地元某新聞社の方の講演を聞く機会がありました。そこで疑問が氷解しました。記憶によれば、1978年に西銘順治氏が沖縄県知事に就任、以降、公共工事、観光事業等の経済政策に力を入れ観光客が右肩上がりになったとのお話でした。念のため沖縄県HPの「年次別観光客数及び観光収入」というグラフを見ると、間違いなく西銘知事の就任以降数字が伸びています。

西銘氏の知事就任以降沖縄を訪れた多くの観光客の中には漫画家や編集者・製作スタッフ・その他も含まれていたことでしょう。彼らの目を通したり記憶に刻まれた沖縄が漫画に反映されたのは間違いありません。

西銘順治氏の経済政策は、漫画の中の沖縄表現にも影響を与えていました。当時は私も学生で彼の努力を理解することもなく、能天気にこんな調査を続けていました。やっと今頃、西銘氏の偉大さを実感した次第です。(沖縄市)

執筆者は和宇慶勲氏で、このコラムを読んだときに正直「やられた」と思いました。当ブログでも近いうちに西銘順治氏の業績について上記の内容で取り上げる予定だったからです。ちょっと悔しいので(笑)、ブログ主が沖縄の本土復帰後(昭和47年)から平成3年までの、人口推移と観光客との関連を表作成しましたのでご参考ください。

ブログ主が作成した表で注目していただきたいのは、自動車保有台数の異常な伸びです。西銘氏が沖縄県知事に就任した当初は都市部の渋滞が酷くて社会問題になったほどですが、平成にはいると大幅に渋滞が緩和されます。道路実延長の伸びからも察することができますが、西銘知事時代に徹底的に社会の基礎インフラを整備したことが分かります。

象徴的な出来事が平成に入ってコンビニエンスストアが沖縄に進出したことです。高度な商品管理システム(POS)で店舗運営するコンビニが沖縄で営業ができたのも、社会インフラが本土並みになった何よりの証拠です。実際に平成にはいると、

・昭和50年あたりに頻繁に起こった断水騒ぎがほとんど無くなった。

・復帰直後は惨かった道路渋滞が大幅に緩和された。

・観光産業が一本立ちして、県の経済を支える主要産業に成長。

・海邦国体を開催することで、スポーツ施設が格段に充実。

など現代社会に大きな遺産を残しています。西銘知事時代に社会インフラを整備したことによって現代の沖縄県の経済は成り立っていると言っても過言ではありません。西銘氏の偉大な業績は後日改めて詳細に説明するとして、今回は先に記事にされてちょっと悔しかったので、補足という形で西銘知事の業績を纏めてみました。ご了承ください(終わり)

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