黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / (4) 家出

“ヤサグレ” といういん語がここでは、ある。

「オレ、とうとうヤサグレしてきちゃった」

「それに限らァ、家にいたってロクなことなんかありゃしない。だれもわかっちゃくれねェもンな」

「ネグラはどこにするかナ」

「どこだってあらァナ、××小学校にもぐり込んでもいいサ」

— とこんなぐあいに使う。つまり「家出」することがヤサグレ。どこからともなく仕入れてきた “黒い芽” たちの暗号である。本格的な非行がほとんどの場合この “ヤサグレ” から始まる。

非行、転落への道 / いつの間にか暴力団に

ある少年の転落の過程をたどってみることにしよう。

× ×

少年の名はA、18歳。いまではあるグループのれっきとした兄貴分である。警察の補導歴10数回。児童相談所など施設にもぶちこまれたが、何度も逃げた。12のときに最初のヤサグレをした。警察の古い補導調書の控えを見ると、つぎのように記録されている。

「…当少年の家庭事情は乱れぎみで、父親(労務)は連日酒びたりの上、泥酔すると妻や子供に当たり散らすという酒乱。母親とのケンカはほとんど1日も絶えない。…とうとう母親はさいきん家出、現在は別の男と内縁関係ができている。こうした事情が重なって父親の酒乱は一層ひどくなり、はけ口が子供に向かいそれでAは家出、深夜盛り場をうろついているのを補導されたものである…」– と。

補導されたAは、翌日父親に引き渡されたが、また数日後に家出してしまった。学校をサボリ、あき家に寝たり、野宿したりしているうちに不良グループと交わり、かっぱらいもやるようになった。この間、数回警察に補導されたのだが、家出グセ、盗みグセがすっかり身について急速に非行へ転落、14~5歳にもなると、もう手がつけられないチンピラぶりであった。

グループといっしょにタバコをふかしてみたり、野っ原にトグロをまいて酒を飲んでみたりは序の口。盗み、桃色遊戯、果ては同年輩たちをおどして金品をまきあげるなど、いっぱしのチンピラやくざへの “黒い芽” をのばしていった。

Aには5~6人の “子分” がある。中学2年生1人、3年生3人、中卒の不良少年が2~3人。中卒の “子分” はいずれも1年ほど前からヤサグレした専従員、中学生らは家出したり、警察にひっぱられて家に戻されたりの “お通い” グレン隊。それに不良少女のグループがくっついている。

これらの “子分” から「兄貴兄貴」とおだてられてAはとんとごきげん。

「オレたちの “組” ももっとふやさにゃなんねェな」と、目下 “ヤサグレ” をねらっているという。将来は、那覇派とかコザ派のような “有名” な暴力団づくりがユメ。このA少年の口グセは、「オレもホンモノのガン(短銃)が持ちたい」

— だから、コザ派や那覇派の暴力団が、ホンモノの短銃、カービン、日本刀などをごっそり持っているらしいと聞くと、うらやましくじっとしていられないほど。いまのところ短刀ぐらいしか持っていないようで、それだけに “本格的” な凶器に対するあこがれは強いのであろう…こうして、かつてのしいたげられた孤独の少年は “子分” にとりまかれて、父親のことも忘れ、自分をすてて人のメカケになった母親のことも、まるっきり忘れてしまった。– 父親らも「しょうのないヤツ」と思うだけでこの息子に救いの手はさしのべようともしないそうである。

— このAの最初の “家出” からはじまった転落は、単なる一例にすぎない。なかには、家は裕福であるのに、家出して不良グループにまじったというのも多い。これらは両親の放任がもたらしたもの。また一度警察に補導されるような “あやまち” を起こすと、たいていの親が「このツラよごしめが…」と怒鳴り散らす。そのじゃけんさが子ども心を刺す。ヤケくそになってまた家出する。…こうして “黒い芽” が誕生していくわけである。そしてこの孤独の “ヤサグレ” を既成の不良グループがねらいワナをしかける…という風に、悪循環がくりかえされていく。

「子どもというものは、さびしがりやで、敏感だ。1~2回の警察補導などは “あやまち” の段階であり、その責め方ひとつで子どもの心がむしばまれる結果になったり、後悔心を呼びさましたりするものだ。”家出” というものは追いつめられた子どもが選ぶいちばん安易な道だから……」と、一線で取り締まりに出ているある刑事さんはいう。

この刑事さんは、家庭は子ども中心でなければぜったいにいけない、と力説していた。(昭和38年2月23日付琉球新報7面)

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