黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / 暴力地図(1)

“島ぐるみ” の「暴力追放」運動がはじまった。こんどの運動で、実施本部がとくに重点的に追い打ちをかけようというのが既成暴力団の根絶と併行して、小さいヤクザたちのしめ出し。「暴力つみとりは芽のうちに – をあいことばで、社会の裏側にはびこりつつある暴力の “黒い芽” に集中攻撃をかける構えだ。 – そこで、これら “黒い芽” の実態をさぐってみた。

“黒い芽” の非行少年はそのほとんどが那覇市内に巣食っている。警本の少年犯罪白書からみると昨年の補導件数は、約3400件、非行児の数は約1000人と記録された。補導件数に比べて非行児の数が極度に少ないのは、補導と釈放を繰り返す “いたちごっこ” 組が多いから。この悪循環が、少年たちに非行をまるでスポーツなみに、楽しむ習性を植えつける結果にもなっているのが現状。事実、那覇署に何回となく補導されたことのある非行少年のなかでは、「かっぱらいなんて、オレたち仲間ではまぁ一種のスポーツみたいなものさ」とウソぶいたのもいるほどだ。

非行児は約千人 / ほとんどが那覇に巣食う

ベテラン刑事には犯罪手口からして、誰のしわざだ、とピーンとくる。すぐひっぱってきて施設送り。施設に送られてもスキを見てすぐ抜け出してくる、また捕まえる。補導歴の古いのになればこうした “いたちごっこ” も急テンポでくりかえされるわけだ。

「てんでしまつにおえない。いくら口ずっぱく説諭してもさっぱり効き目がない。第一、フダつきになると補導されるのをこわいと思っていないようで、まったく処置なしですナ。こうした犯罪への無神経さが、やがてゆすり、恐かつ、暴行と…いっぱしのヤクザ気質を植えつけていく…」と係り官が悩みどうしなのもムリがない。暴力の “黒い芽” がこうした典型的なコースをたどって芽生えてくるわけである。

この “黒い芽” たちはそれぞれグループをつくって勢力分野を徐々にひろげているのも見落とせない。グループを大別すると、初犯や補導歴に浅いものでかたまっている “遊びグループ ” 盗みや乱暴を主とした “フダつきグループ” にわけられる。怠学、怠業、家出から桃色グループに足を突っこんで、非行歴がはじまるというのが常套コース。深夜うろつき、野宿したり、墓穴や壕にたむろして空家に巣くい、そろそろ「何かしようぜ」ということになって、壕や空家からはい出して付近の雑貨商店などからパンやカン詰め菓子類をかっぱらってくる。映画が見たいと思って店にしのび込んで売り上げ金を抜きとり、通行人からハンドバックをひったくり、あげくのはては持ち合わせのナイフを使い脅してまきあげたりする。

那覇市内でみると、寄宮、古波蔵、与儀などの草むらや墓穴が根じろ、安里、開南、与儀一帯が稼ぎ場だ。また、主席公舎周辺や、古島、首里坂下などは集団リンチや、通行人への暴行などがひんぱんに起こる暴力地帯だ。場末の学校も “根じろ” にねらわれっ放しである。

繁華街では、ひったくり、スリ、デパートの万引きと3人から4~5人のグループが、すばしこく荒しまわる。それこそ “こまねずみ” のように……。

暴力追放運動がスタートする前日、19日朝、通称 “サル” とよばれる施設逃走児が那覇署の少年係に補導されてきた。”サル” は13歳、補導歴は数え切れないほどのフダつき、まるで “アイサツ” のように、週に1度か2度は同係に補導される。警察を出ると市内の各所で手当りしだいに盗みをはたらき、刑事が足を棒にして裏付け捜査に歩きまわるのを痛快がっているというしたたか者。手口も悪らつで、あき巣に入って獲物がないと、腹いせに座敷などところかまわず汚物をまき散らし、室内をかき乱すという、徹底したもの。

最近は、あき巣に入って酒でパーティーするなど大胆を極めている。”桃色グループ” もさいきんとくに多くなった。中高生、中学卒業の非行少年らがこれも “少女夜の蝶” で自認しているズベ公グループとくっついて、酒を飲んだり、ダンスをしたり、桃色遊戯にふける。14~15歳から17歳前後の少女たち。「スケ(情婦)、ヒモ(情夫)」といん語を使って得意がるというしまつだ。

こうしたグループが、いつのまにかふくれあがり、付近の不良青年らと交わり、暴力団の仲間入りをするわけである。暴力団の仲間入りした非行少年と暴力団のチンピラやくざとの会話「おめぇ。予備校はどこだ」「へぇ、真和志の××グループで……」

– 予備校……つまりこうしたグループが、暴力団の “予備校” となっている。(昭和38年2月20日付琉球新報7面)

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