琉球独立論に対して常々思うこと その6

琉球・沖縄の歴史において自治権の拡大運動は1件だけあります。1896~1897年に頑固党*開化党*の一部が主導して元琉球国王の尚泰を沖縄県知事に据えて自治権の拡大を目指す運動が起こります。これを公同会運動を呼びますが、この運動は明治政府に一喝されてあっという間に終息します。

*頑固党:琉球王府時代の政治・社会制度を維持しようとする勢力で当時の上級士族の大半が頑固党に属しています。ただし頑固党の呼び名は彼らがつけたのではなく開化党に対する蔑称としてつけられた説が有力です。

*開化党:明治政府の指導の下に琉球の近代化を図る勢力で少数の上級士族が属していました。

この自治権拡大運動の特徴は開化党の一部知識人も参加したことです。1890年代の沖縄県は奈良原知事の時代(1892~1908)で政治・経済的に県外人が沖縄県民に対して優位にあった時代です。開化党の知識人は日本本土で新時代の教育を受けた階層ですが、帰沖後の沖縄県内の情勢に対して不満をもったため*に公同会運動に参加したと言われています。

*一例として沖縄県庁における官吏は県外人中心で沖縄県出身者は2割程度、経済は寄留商人と呼ばれた県外商人たちの独壇場でした。

頑固党は「沖縄社会において一度失った居場所を取り戻したい」という一念で自治権拡大運動を起こしたのですが、肝心の沖縄社会からも猛烈に批判されて運動は終結します。そして公同会運動があったことすら忘れられて頑固党は沖縄社会から完全に没落してしまうのです。

現代の独立論あるいは自治権拡大運動と、1896年(明治29)に始まった公同会運動は時代背景および運動を主導する階層は異なりますが、実は「このままでは沖縄社会から居場所をなくしてしまう」という危機感はまったく同じなのです(続く)。

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