琉球藩の時代 その10

~琉球藩当時の社会構造 その2~

150年前の琉球王国の状況が今の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にそっくりだと言うと苦笑いして無口になるケース、あるいは顔を真っ赤にして反論するケースなど人それぞれに反応が異なります。国が貧しかったのは事実も北朝鮮を引き合いに出す程ではとの指摘もあるでしょう。

幕末から明治初期において琉球王国(あるいは琉球藩)が貧しかったのは薩摩藩の長年にわたる搾取が原因だと主張する人もいますが、その説は真っ赤な嘘でむしろ薩摩藩への貢租義務を口実に琉球王府の百姓へ取った政策が結果として社会を極貧の状態に貶めてしまったのです。

薩摩藩の支配下における最大の弊害は、為政者の腐敗堕落を阻止することができなかったことです。その結果幕末期においては教養こそ一流も政治家としては無能極まりない人物ばかりを輩出するようになったのです。代表的な人物が最後の国王尚泰ですが、当時の三司官をはじめ親方衆も同じ穴のむじなで為政者としてはどうしようもないほど堕落していたのです。

さすがに言い過ぎではないかとの指摘もありますが、当時の琉球王府のクズエピソードを3つほど記載しますので後は読者が判断してください。

~クズエピソードその1 1866年(慶応2)の冊封~

1861年(文久元)以降薩摩藩のお達しによって琉球国内でハイパーインフレが進行します。具体的には琉球国内で流通していた銅銭と鉄銭の交換比率を変更*したのですが、結果として1868年には鉄銭の価値は銅銭に対して32分の1にまで下落します。

*琉球国の通貨制度は銀本位制です。国内に流通しているのは銅銭(寛永通宝等)と鉄銭が主で、従来の銅銭と鉄銭の交換比率は銅銭1枚に鉄銭50枚でした。

人口の多数を占める百姓と無禄の士族の現金収入は鉄銭の割合が大きかったので、鉄銭の価値下落は家計に大ダメージを与えます。言い換えると物価が乱高下して最終的には鉄銭で清算すると32倍に物価が上昇する無茶苦茶な状態です。現代で例えると沖縄県の一人あたりのGDPが大体25万円ですから

収入25万円でペットボトルが1本160円の物価が

収入25万円でペットボトルが1本320円まで値上がりして

最終的には収入25万円でペットボトルが1本5120円にまで値上がり

という阿鼻叫喚の状態が現実に起こったのです。1861年から1868年の7年間で薩摩藩が人為的にハイパーインフレを起こしたため琉球国の経済は回復不能なダメージを受けることになります。もともと最悪の経済状態にとどめを刺すことになったのですが、ここで終わらないのが当時の琉球王府の為政者たちです。何とこんな最悪の経済環境で琉球王府は莫大は費用を要する冊封を行ったのです(続く)。

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