琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 男色の慣習がなかったこと その4

琉球・沖縄の歴史において辻町などに代表される風俗街が誕生したのは約500年前です。風俗産業に従事する女性のことを尾類(ジュリ)と呼びますが、琉球の風俗産業の担い手はすべて女性で実はまったく男性が関与していなかったのです。

日本の風俗産業の場合は中間搾取者として必ずと言っていいほど男性の存在がありますが、琉球・沖縄の歴史では1945年(昭和20)まで風俗産業に男性は一切関わっていなかったのです。このことは性産業を考える上では異例この上ないと言っても過言ではありません。

つまり、男娼も含めて琉球・沖縄の男性は性産業には直接関わっていなかったのです。単なるお客様として間接的に関わってきただけです。沖縄の方言で陰語は複数存在しますが、男娼を表す方言は現時点では確認できません。陰間とか色小姓とかを示す琉球・沖縄の方言は聞いたことありません。

男性が性産業に直接関与していないことと、琉球・沖縄の歴史で女卑の思想がなかったことは実に興味深いです。琉球国は尚円王統3代目の尚真王の時代(1477~1527)に国内が安定化します。その過程で人口における男女の比率が1:1に近くなったと予想されます。しかも尚真王は神女組織の力があって始めて王位につくことができたので、女卑の思想が誕生する訳がありません。

15世紀末における琉球国内の政治的安定化と神女組織の権威が結果として男色の慣習が遂に琉球・沖縄に根付かなかった最大の原因と思われます。琉球・沖縄の男性が女性を卑しい存在として見なしていない証拠と断言しても構いません。ただし同性愛に対応した歴史がないために、逆に現在の沖縄県は同性愛者にとっては極めて居辛い環境と思わざるを得ないのです(続く)。

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