ソ連の裏と表 ⑵ – 陰の声…第二の農奴制 – 極右と極左は同じ結末

(二)ソ連とは ソ連正しくはソビエット社会主義共和國連邦ということである。ロシア共和國、ウクライナ共和國、白ロシア共和國、ウズベック共和國、カザフ共和國、グルジャ共和國、アゼルバイジャン共和國、リトワニア共和國、モルダビア共和國、ラトビア共和國、キルギース共和國、タジック共和國、トルコメン共和國、アルメニア共和國、エストニア共和國、及びカルロヒン共和國の十六ヶ国からなる連邦である。

東は日本海をへだてて、日本に面し、朝鮮中国、外蒙、南はアフガニスタン、イラン、トルコと國境を接し、西はブルガリア、ルーマニア、ハンガリア、チェッコスロバキヤ、ポーランド、ノールウェー、フィランドと隣接し、北は北極海に面する二千二百万平方キロという、地球上の陸地の約六分の一を有するボウ大な國である。東は日本海に面するウラジオストックから、西はバルチック海の入江にある、レニングラード(旧ペトロブルグ)に至る距離は約一万一千キロで、特別急行列車に乗って直行しても二週間を要する。旅客飛行で飛んでも三日乃至四日もかかる。気候は北部の寒冷な極地気候から、南部の砂ばく性気候まで、広範にわたり大いにそのおもむきを異にするので、一がいにいう事は出来ない。ウラル山脈を東に越えて、北東部一帯をシベリヤと俗に呼んでいるが、シベリヤは最も気候の不順な所といわれ、冬期が非常に長く、夏期が非常に短い。冬の気候は、ハバロフスクで零下三十五度乃至四十五度、ノボシビリスクで四十度から五十度位、北極圏内に入るウルクタ地方に行くと、零下六十度以下に下がる。

日本海と黒海、バルチック海に面する部分は、ごくわずかで、北極海沿岸は人の居住に適せず、ソ連の市民は殆んど海を知らないといっても過言ではない。丁度沖縄で地平線というのを知らない様にソ連の國民は水平線を知らない。ロシヤ人の百姓に、海の話をする時、海水は塩からい、といっても仲々本当にしない。中では一寸利巧相な者がいて「道理で魚は塩からいんだね」と尤もらしく早合点するのもある。(ソ連では魚は殆んど塩漬けにする)東南の國境パミール高原から、東北チュクテ半島迄、アジヤ大陸を横断する。一連の山脈地帯もあるが平原が広く、〔果て〕しない地平線だけしか見えない所が多い。汽車の旅をしても、二日、三日走り続けても町らしい町が見えないのがシベリヤである。

ボルガ河とドン河は欧〔州〕の大きな河だが、シベリアにもレナエニセイ、アムール、オビ等の大きな河が流れており、いずれも河幅五、六百米もある。

人口は約二億で、大きく分けても六十種に余る種々の民族が雑居している。その中ロシア人が最も多く、全ソ連人口の五、六(十が抜けているか?)パーセントを占め、あらゆる意味でソ連の代表的民族である。

一九一七年共産主義革命によって政権を獲得した後も、数年間の國内戦争の惨劇を経て、ソ連式社会主義國家を作り上げたのだが、その間にも数度の血の粛清を繰り返し、恐怖と暗黒のスターリン独裁政治の下に、重工業重点主義で國力を充実し、今日に至った。

共産主義社会建設の段階として社会主義社会制度を看板にしているが、実情は民主主義とははるかにかけ離れた軍國主義を思わせる感じである。私は在ソ抑留十一年を通じて、極右と極左は同じ結果を生むということをつくづく感じて来た。一番わかり易く、ソ連という國を説明するためには、かつての日本の戰爭末期における統制時代が、長年にわたって緩和されずに続けられている國、と言ってもいいと思う。

ソ連人は今の社会を第二農奴制と皮肉っている。(1957年4月30日付沖縄タイムス夕刊4面)

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