久高島印象記 (3)- 又吉康和

 われ等は神の探し出す心持で此の憧憬の島に上陸した。此の島の住民は誰でもアマミキヨが島を造、白樽が開だと信じて居る。交通不便の爲め古い風俗慣が古の儘遺されてゐる。彼れ等は太陽は東の海より出て、西の丘の彼方に沒するものだと信じ、雨は龍が雲を集めて降らすものと信じて居る。草も木も神に依つて生じ、人間も犬も猫も神の使であると信じて居る。そこにはコロンブスの亞米利加發見もなく、ニユウトンの引力もなく、ダーウヰン進化論もない。地上の幸、不幸は總て神の喜怒哀樂に依つて支配されて居るものと信じて居る。

彼等は淸潔の民である。貞操の婦女子である。然しそれは衛生思想から來た淸潔でなく、自覺から來た貞操でなく總て神怒を恐れることから出發したものである。だからアマミキヨ時代の遺物ではないかと思はるる根神と根人が尊大な顏をしてゐる。彼れ等は聞得大君御殿がまだ存在して居る位に昔の話を空想して過去に生きてゐる。而して自分は神に使へる者として威張つてゐる。だから神託を受けたもの〔として〕吉凶を卜し、婚禮の日取、家を建てる日取り初生兒の命名まで總て之れを掌つて居る。島民も亦彼れ等を尊敬して神の名代位に崇めて居る。

二 此の島は見るもの聞くもの總て時代に超越してゐる。本島から見て著しく奇習だと思はるる印象に遺つてゐるもの二三擧げて見よう。

 兒が生まれると產兒は直に水を浴せる。そして產は火を焚いてすくめる。大ぎで山羊のソップを作つて產兒と產に飲す。そして人の生れる初日から迷信は伴ふて居る。ち四日間と云ふものはお產の時そこに居合せた人の外親戚と雖も產家には一切出入することを禁じてある。四日に川ウリーと云ふ儀式を行う。その川ウリーが濟んだら始めて御ひに上る。それからどこの家に赤兒が生れても四日間は島の靈地たる神谷ヶ原のに出入することは嚴禁されてゐる。人が死んでも亦一週間出入を禁じてある。女の月經時も身が汚れて居ると云ふので自ら遠慮して此の靈地に出入せない。兎に角神を恐れること甚だしい。

それから毎年四月吉日を卜し女どもが白束で白い八巻をして三十名位圓陣を作りオモロを唱い乍らアマミキヨの渡來を祝福する儀式が未だに殘つて居る。此の祭りをアマミヤーカンガナシー(一名ニレーガンザナシー)と稱して居る。全く久高は神の島である(沖繩敎育 – 大正十三年九月一日発行より続く)

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