芋の葉露(田舎生活)- その6

(六)都鄙を通して百俵の土地を有する者は豪農とす。一俵(約60キロの米穀と仮定)の坪数は地味の肥瘠位地の便不便によりて甚しき差あり。那覇首里の近在にして六十坪一俵の所あり、或は七八十坪一俵の所あり、偏在の瘠地となれば百乃至二百坪一俵の所もあれども先づ平均したる所で八十坪位(約264平方㍍)の所なるべし。

仮にこの平均坪数を以て至当なりとすれば百俵と云ふも八千坪即ち三町余(3㌶弱)に過ぎず。これに資本の二千円もあれば郡内に於て屈指の豪農なり。仕明地(しあけち)の一町歩もあれば優に中の上に位ひす。斯る有様なれば村内にて十中七八の多きを占むる所の穴屋暮の人民は土地整理法の結果先年分配されたる百姓地の外には一畝の田畑も有せざるもの多し。

此程某村の砂糖小屋に休憩したるとき五六人の男が側なる芝生に胡坐をかきいろゝの話をなすを聞くに、その種子は時節柄とて尽く砂糖の話なり。甲は今年は六□三斤位ひは手に入るものありと云ひ、乙はあの樽を売らば三分二は自分の手に入ると云ひ、丙は一樽まではなしと思ひ居たる処少しは余りたりと云ひ、或はお前は二百貫(□円)もとれるなら豪家なものだと羨め、或は何某は既に三百二百貫にて約束したりと云ひ、その談話の範囲は三四円乃至六七円の間にあり。而してこれ彼等が一年中にして手に握る所の唯一回の大金なり。この大金を彼等は如何に処置するや、多くは七八年乃至十二三年に渉る所の模合にかけるが常にて、これ丈けは辛ふじて貯蓄をするを得るも他は全く彼単調なる日々の生活にすり込むと云ふ。

農民とて牛馬に斉しからざれば一生を勤労の中に投ずることはなし。或は優々自適の境なくんばあらず。星を戴(いだ)いて野良に出て月を踏んで家に帰り夕飯を仕舞へば街頭に出て渋張の三味線を弾じ且つ歌ひ且つ舞ふて深更に至る、これ青年□□唯一の娯楽機関なり。これをもし遊びと云ふ。今は例の矯風会、風俗改良会抔あり、或は巡査が八釜敷(やがましく)云ふ所もある故男女混合の遊びに少しは遠慮する様になりたれども内々は何れもやるなり。若夫れ□年以上に至りては「時復壚曲中、披草□往来、相見無雑言、但育桑麻長」、彼等はこの外には別に快楽の機関には炉辺茶盆を囲み蕪や大根の茎のあさ漬をかじりながら甘蔗畑の□狭芋の情況豚や山羊の生育等を談ずるを以て無上の楽みとす。

正月の年日□月の節句アブシバレーと云ひ、五六月祭りの如きは米の飯を炊き豚大根冬瓜豆腐の煮しめを馳走するが彼等にとりては無上の美味なり。何か慶事があれば亭主方は□白髪□云ふも名のみにて実は箸□の素麵の吸物と例の豚や豆腐を振舞ふさすれば村民は各一二合の酒と重箱(矢張豚や豆腐抔の煮しめ)を携へて到り十二分の酔を買ふを以て最上の馳走とす。都人士が携ふる所の弁当(天麩羅をさいに□たるが上等なり)を見て生涯に一度はあの様なものに舌を潤すかの愚痴をこぼすを聞き余は覚へず涙を催ふしたることあり。

都人士は酒宴の席に於て拳を争ひ負けたるものに酒を飲ますが常なるに(虫拳=ブーサーのこと)、村落にてこれを見て馬鹿の骨頂となす。その意あツたら酒を負けたものに飲ますとは牡丹餅にて下戸の頬をたゝひてこれを懲さんとすると同様と云ふにあり。次回には村落に於ける酒宴の有様を述べん。(明治34年1月23日付琉球新報)

【原文】

都鄙を通して百俵の土地を有する者は豪農とす一俵の坪數は地味の肥瘠位地の便不便によりて甚しき差あり那覇首里の近在にては六十坪一俵の所あり或は七八十坪一俵の所あり偏在の瘠地となれば百乃至二百坪一俵の所もあれども先づ平均したる所で八十坪位の所なるべし假にこの平均坪數を以て至當なりとすれば百俵と云ふも八千坪即三町餘に過ぎずこれに資本の二千圓もあれば郡内に於て屈指の豪家なり仕明地の一町歩もあれば優に中〔の〕上〔に〕位ひす斯る有樣なれは村内にて十中七八の多きを占むる所の穴屋暮の人民は土地整理法の結果先年分配されたる百姓地の外には一畝の田畑をも有せざるもの多し

此程某村の砂糖小屋に休憇したるとき五六人の男が〔側〕なる芝生に胡坐をかきいろ〱の話をなすを聞くにその種子は時節柄とて尽く砂糖の話なり甲は今年は六□三斤位ひは手に入るものありと云ひ乙はあの樽を賣らは三分の二は自分の手に入るものありと云ひ丙は一樽まではなしと思ひ居たる處少しは餘りたりと云ひ或はお前は二百貫(□圓)もとれるなら豪華なものだと羨め或は何某は既に三百二十貫にて約束したりと云ひその談話の範圍は三四円乃至六七圓の間にあり而してこれ彼等が一年〔中〕に〔し〕て手に握る所の唯一回の大金なりこの大金を彼等は如何に處置するや多くは七八年乃至十二三年に〔渉〕る所の模合にかけるが常にてこれ丈は辛ふして貯蓄するを得るも他は全く彼單調なる日々の生活にすり〔込む〕と云ふ

農民とて牛馬に齊しからざれば一生を勱勞の中に投することはなし時に或は優々自適の境なくんばあらず星を戴いて野良に出て月を踏ん〔で〕家に〔歸〕り夕飯を仕舞へ〔ば〕街頭に出で澁張の三味線を彈じ且つ歌ひ且つ舞ふて深更に〔至〕るこれ靑年□□唯一の娯樂機關なりこれをモシ遊ひと云ふ今の例の矯風會、風俗改良會抔あり或は巡査が八釜敷云ふ所もある故男女混合の遊びは少しは遠慮す〔る〕樣になりたれども内々は何れもやるなり若夫れ□〔年〕以上に至ては「時復壚曲中、披草□往〔來〕、相見無雜言、但育桑麻長」彼等はこの外には別に快樂の機關なし爐邊茶盆を圍み蕪や大根の茎のあさ漬をかじりながら甘藷畑の□狭芋の情况豚や〔山羊〕の成育等を談するを以て無上の樂みとす

正月の年〔日□月〕の節句アブシバレーと云ひ五六月祭の如きは米の飯を炊き豚大根冬瓜豆腐の煮しめを馳走するが彼等にとりては無上の美味なり何か慶事あれば亭主方は□白髪□云ふも名のみ〔に〕て實は箸□の素麵の吸物と例の豚や豆腐を振舞ふさすれば村民は各一二合の酒と重箱(矢張豚や豆腐抔の煮しめ)を携へて到り十二分の醉を買ふを以て最上の馳走となる都人士が携ふる所の弁當(天麩羅をさいに□たるが上等なり)見て生涯に一度はあの樣なものに舌を潤すかの愚痴をこぼすを聞き余は覺へず涙を催ふしたることあり

都人士は酒宴の席に於て拳を爭ひ負けたるものに酒を飲ますが常なるに村落にてこれを見て馬鹿の骨頂となすその意あッたら酒を負けたものに飲ますとは牡丹餅にて下戸の頬をたゝひてこれを懲さんとすると同樣と云ふにあり次回には村落に於ける酒宴の有樣を述べん

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