金城正雄氏が語る「首領」たち / 沖縄ヤクザの生き字引が「英雄」を語る – 又吉世喜(1)

(続き)那覇派はコザ派よりはかなり遅れて、昭和35年ごろにようやくまとまりを見せたのであるが、首領としてそれを率いたのが、通称「スター」こと又吉世喜だった。

那覇派の母体は空手道場の門下生のグループで、「戦果アギャー」が主体のコザ派とは性格を異にする。どちらかといえば沖縄の武芸者集団といった色合いがあり、コザ派よりも保守的で、本土ヤクザとの交流もまったくなかった。

又吉はそういう集団の中で頭角をあらわし、周囲の先輩たちから、「おまえが親分だ」と首領に推されたのである。空手の世界では空手の腕がすべてであり、彼らの中では又吉が抜きんでて強かった。だから、首領は又吉をおいてほかにはいないと考えられたのだが、そういうところにも那覇派の武芸者集団的な性格があらわれている。

又吉世喜(那覇派首領) 空手の達人で質実剛健の「スター」

金城「私は若いころからずっとスターさん(沖縄連合旭琉会理事長・那覇派首領の又吉世喜)と一緒ですよ。

思えばもう30年、40年も昔のことになってしまいましたが、目を閉じればスターさんのいろんな姿が今でも鮮やかに浮かび上がってくるんです。

スターさんは酒が好きでしたが、外へはあんまり出たがらなかった。家で飲むのが好きなんです。飲むのはたいてい洋酒か泡盛で、酒は強かったです。グイグイといくらでも飲みましたが、酔って乱れるような人じゃなかった。

飲めば三味線を手に取ります。それを1人でつま弾きます。沖縄の古い民謡ですよ。当時、私はまだ若かったですから、聴いてるとだんだん退屈して眠くなってくるんです。そのうちほんとうに眠っちゃう(笑)。そうすると、そういう私がカゼをひかないようにと、何かかけてくれたりするんですね。スターさんはそういう人でした。スターさんは空手一筋の武芸者のような人でした。正義感の強い人で、『自分が悪いと思ったら相手が女子どもでも頭を下げろ。そのかわり自分が正しいと思ったら相手が誰だろうとあとへはひくな』と、いつも教えられてました。

那覇の首領に立てられてからも毎日、空手の修行に明け暮れてましたよ。喜史さんとは正反対で、社交性はゼロ、生活は地味でした。賭事も女遊びもしない。酒は好きでしたが、クラブを飲み歩くようなタイプじゃない。家で静かに飲んで、酔うと三味線を取って自分で弾くんです。取り巻きを連れて歩くようなこともしない。出かけるときはいつも私を助手席に座らせて、自分で運転してました。

そのスターさんの三味線の音色が今でもときおり耳の奥から響いてくるんですよ。それがとても懐かしい。

スターさんは偉大な人でした。

スターさんが1人で座って三味線で沖縄の古い民謡をつま弾いていたら、それが沖縄の武士ですよ。私はそういうスターさんを見るのが好きでしたが、それはもう二度と見られなくなりました。しかし、こうして目を閉じれば、そういうスターさんの姿が今でも鮮やかによみがえってくるんです。

質素で地味な人でしたが、人が訪ねてくると、当時はめったに口に入らなかったすき焼きを作って、一流の洋酒を並べて、自宅で心からの歓待をするんです。表現は不器用だけれども、心はとても温かい人でした」

又吉世喜は昭和8年、那覇市壺屋に生まれた。男3人、女3人の6人兄弟の次男だったが、長男は戦争で亡くなったので実質的には彼が長男だった。家は貧しく、彼もまた新城同様、学校へはあまり行けなかったが、7~8歳の子どものころから、宮城長順という沖縄でも1~2を争う剛柔流の師匠の空手道場に通っており、そこで天才的な才能を発揮していた。当時の空手道場は素質のある子弟を集めて特別扱いしたが、又吉はそういう「特待生」の1人だった。

しかし、彼は家の生活を支えるために14歳のころから奄美大島に出稼ぎに行き、そこで井戸掘りなどの重労働に従事して、家に送金した。もちろん楽ではなかったのであり、その様子を聞き知った母親が忍びなくなって、3年ほどで呼び戻したという。

17歳で那覇に戻ると再び道場通いを始めるかたわら、生活のために青空賭博の用心棒を始めたが、そのころにはすでに並み居る先輩たちの誰も彼にはまったく歯が立たなかったという。用心棒になってからも又吉は徒党を組もうとはせず、23~24歳まではずっと一匹狼であり続けた。そういう彼が那覇派の首領になったいきさつは前記のとおりで、覇を競ってトップの座にのしあがったというわけではなかった。又吉はそういうタイプの人間ではなかった。

那覇派の首領としてコザ派との交流ができると、又吉は喜舎場朝信にもかわいがられ、いわば「ターリーのお墨付き」で那覇を任されるような形になった。喜舎場にとっては新城喜史が長男のような存在だったが、彼は新城とは正反対のよさのある又吉を同等に買っていたのである。

新城が「戦果アギャー」というゲリラ部隊の隊長なら、又吉は沖縄空手武士団の団長だったとでも考えればわかりやすい。対照的な性格だが、米軍支配下の沖縄で、それぞれ沖縄の男として誇り高く生きたという点では同じだったと言えるだろう。(続き)

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