ご存じの通り、今月13日投開票の令和8年度の沖縄県知事選挙は古謝玄太氏が他5候補に圧倒的な大差をつけて当選しました。今回はちょっと真面目に歴史的な大敗を喫した玉城デニー陣営に対するブログ主なりの “検証記事” をアップします。
というか、選挙後の新聞記事などをチェックすると、「玉城知事の個人人気に依存した選挙戦略の失敗」が共通の敗因として挙げられており、この点はブログ主も同意です。なので別にいまさら突っ込む必要はないかなと思いつつも、なぜ玉城氏の人気がガタ落ちしたかについては検証が必要かと思われますので、ブログ主なりの見解をまとめてみました。
たしかに4年前の知事選では圧倒的な知名度&人気を誇った玉城デニー氏ですが、その人気に陰りが生じたのが令和05年度10月の「最高裁判断」を「承認は困難」として判断を示さなかったあたりからです。そして翌年(令和6年)6月の県議会選挙の県政与党の歴史的敗北、同年6月28日の安和桟橋での事故、そして県政野党によるワシントン事務所に関する追及、同年11月の災害救助法適用ができなかった案件など、確かにいろいろやらかしてますが、決定的なのが今年3月16日の辺野古沖転覆事故に対する玉城知事の対応です。
辺野古沖転覆事故はハッキリ言って県の責任ではありませんが、この事件が玉城氏個人人気にダメージを与えたことは間違いなく、同年5月7日にオール沖縄会議が辺野古新基地反対の組織的運動を再開させたことが致命傷になります。それはつまり、「常日頃『誰一人取り残さない』と言い続けた人物が、自身の支援者のことしか考えていない」という不都合な真実が(いまさらながら)白日の下にさらされたからです。
この点はいま考えても不可解なんですが、(辺野古沖転覆事故という事件の重大さを鑑みると)自身の支援団体に対して強い影響力を及ぼしても文句でなかったはずです。なぜ止めなかったのかよくわかりませんが、それでいて文科省の教育基本法違反の案件(5月22日)には「教育への不当介入」と強い調子で批判してますから、自分の支援者に対して “過度の忖度”していたのは間違いありません。
ちなみに玉城知事(当時)は6月28日付琉球新報1,2面「自ら平和考える力を」と題した記事内で、ご自身の “お気持ち” を表明してますが、こんなの読まされた10~20代の世代や、子育て世代がブチ切れるのは無理はないと思います。
たしかに自分に人気があると勘違いしたのが知事選の最大敗因ですが、ではなぜ玉城陣営は不人気に陥ったことに気が付かなかったのか? “仲良しクラブ” だったと言えばそれまでですが、
「誰一人取り残さない沖縄を」
と言い続けた人物が、(選挙戦を通じて)身内のことしか考えていないことが(改めて)有権者に見透かされたら負けるにきまってます。そして個人人気に依存した選挙の失敗に気が付いた時点ではSNSの猛攻にさらされて為す術が無しという、ブログ主が予測したとおり終盤には息もしてない悲惨な状態でした。
もちろん自身の政治活動において身内を大切にするのは当たり前なことですが、身内のことだけしか考えてない言動は身を亡ぼす、という貴重な教訓を社会に提示したことだけは褒めてやりたいです。そして次回は選挙期間中に猛威を振るったSNSについてブログ主なりに考察します(続く)。


