「琉球新報」に復元改題

琉球新報八十年史 – 新聞にみる沖縄の世相(1973年)の通史編 – 第五章に以下の記載があります。

1950年(昭和25年)9月17日に沖縄群島選挙が行われ、平良辰雄(たいら・たつお)が当選し、志喜屋知事、又吉副知事らは退職したが、翌51年8月、又吉康和(またよし・こうわ)は旧琉球新報社社長であったことから、また、「うるま新報」には旧琉球新報社員が多数を占めていた関係から、社長に迎えられて就任した。又吉は社長に就任後、「うるま新報」を沖縄民政府と軍政府への協力姿勢にする意図を表明し、池宮城*は編集責任者としてこれに反対して、辞任した。

1951年(昭和26年)9月10日、サンフランシスコ講和会議を記念して「うるま新報」は「琉球新報」へ復元改題、池宮城の後任に島袋全発(しまぶくろ・ぜんぱつ)元沖縄民政府官房長が就任した(中略)。

*池宮城秀意(いけみやぐすく・しゅうい):昭和24(1949)年に瀬長亀次郎に代わって社長に就任。

今回はうるま新報から琉球新報への復元改題の流れを、実際に当時の新聞を参照にして検証します。

・昭和26(1951)年8月26日の「うるま新報」の1面に掲載された社告です。「今回又吉康和氏が本社社長に就任しました。読者各位の一層の御支援をお願いする次第であります – うるま新報社」と記載されています。

・昭和26(1951)年8月27日の「うるま新報」の1面に掲載された社告です。へん平活字(偏平活字)の導入と紙面レイアウトの変更の社告が掲載されています。

・昭和26(1951)年8月30日の「うるま新報」の1面です。編集印刷発行人 – 池宮城秀意(いけみやぐすく・しゅうい)と記載されています。

・昭和26(1951)年9月1日の「うるま新報」の1面です。編集印刷発行人 – 又吉康和と記載されています。題字のレイアウトも前日(8月30日)と比べると大きく変わっています。

・昭和26(1951)年9月9日の「うるま新報」の1面です。社告にて琉球新報に改題と明記されています。ためしに書き写してみると、

社告 – 本紙“琉球新報に改題”

本紙は1945年7月いまだ日本が無条件降伏を受諾せず、沖縄戦の余じんのさ中に創刊され、住民に正しい情報を提供、これによつて多くの生命を死への道から救つた歴史を持つことを誇りとするものであります てのひら大の謄写版からタブロイド版更に週刊から日刊への発展を本紙が常に先んじて断行、読者各位の要望にこたえて来ましたが、今後益々激動する世界情勢に対し一層の努力を払う覚悟でおります。

今回わが「うるま新報」を「琉球新報」と改題することになりましたが、これは過去数年検とうされて来たのでありまして、講和会議の締結を機に断行することになつたのであります。琉球新報は戦前における沖縄最古の新聞であり、うるま新報が戦後最も古い歴史を持つということに奇しきめぐり合わせであります。われわれは輝かしい本紙の歴史を辱しめぬよう新聞の使命に全力を注ぐつもりでおります。どうぞ読者各位の御支援御べん達のほどをひとえにお願いいたします – うるま新報社

になります。

・昭和26(1951)年9月10日の「琉球新報」です(当時は2面編成)。この日からコラム〈金口木舌〉が掲載されるようになります。

・記念すべき戦後最初の「題字」です。

ちなみに戦後最初のコラム〈金口木舌〉の書き写しは下記参照

晴れか嵐かき待の中に一まつの不安を感じた対日講和条約調印式も完全に終了した▸グロムイコ。ソ連全権の妨害作戦を完封したことは大きな成功であつた▸頭をたれてサンフランシスコに臨んだ吉田首相全権一行ははじめから温い友情を以て迎えられた▸日露戦争の小村全権に思い比べて実に幸福の人である▸あの時は戦勝国とは云え日本にも財政上の弱点があつて小村さんであつたればこそあれだけの効果を収め得たと知る人は彼を買つたが▸勝ち誇つた一般国民は不満で小村を国賊扱いにし焼うち事件まで突発した▸その不謹慎が逆に日本をして亡国に追い込んだのである▸然しサンフランシスコ講和会議はアチソン議長の開会の辞から友好的であり▸殊にトルーマン大統領の演説は対日講和を実現し以て太平洋に新たなる平和を打ち樹てんとするアメリカの熱意をひれきして感銘を与えた▸その演説中「対日講和は日本を平和の協力者として国際社会に復帰させる事であり世界平和を堅める事に外ならない」と強調している▸更に大統領はあらゆる国の国民がただ一つのものを切望しており、これは「平和の世界」であると述べつゞ現実の問題に触れている▸斯うした基礎の上に立て米大統領は最近結ばれた太平洋諸国との安全保障条約の意義を明らかにし日米安保条約との関連性を極めて率直に明示した▸実にいみじき問題であり、平和世界のためには眼前の生活の窮屈も忍び国家の形式上の栄誉も●に押えねばなるまい。

最後の一文が当時の琉球新報の立場を率直に述べているといわざるを得ません。(終わり)。

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