とある有名な政治家の隠し子?のお話

9月13日付週刊文春に、今月30日予定されている沖縄県知事選挙に立候補する候補者2人に関する記事が掲載されていました。(沖縄知事選<与野党候補>「隠し子疑惑」を連続直撃)。真偽はともかく「作文」としてはなかなか面白いこの記事に対して、ブログ主は該当の候補者がどう振る舞うか非常に興味あります。

それと、この記事を読んだ際に、ブログ主はとある有名な政治家の「隠し子?」について思い出したので当ブログにて言及します。昭和38年(1963年)5月10日発行『月間沖縄』の中で仲宗根源和さんが『現代人物評伝』の記事のなかでこの政治家の隠し子?に触れていましたのでその部分を抜粋します。なお一部伏字ですが、おそらく賢明な読者の皆様なら誰のことかはうすうす察することができるはず、是非ご参照ください。

41才でおじいさん

(中略)戸籍の話が出たついてに私が知り得たことをも少し報告しよう。

私が、○○老とか、○次○翁とか、という文字をつかったら読者は皮肉だと思はれるかも知れない。然し戸籍簿豊見城村役所から得た、去る3月13日発行の○○○次○、○○△一△、二人の戸籍謄本について調べてみると次の通りである。

○○○次○ 明治40年6月10日生。(1907年)

○次○長男 (△一△)大正13年4月1日出生(1924年)この時父○次○は17才

△一△長女 (▲▲)昭和23年6月1日出生(1948年)この時父△一△は24才、祖父○次○は41才。

即ち○次○君は17才にしてオトーさんになり、41才にしてすでにオヂーさんになっている。△一△君は現在、三男四女のパパであって、戸籍は父○次○から独立して別になって一戸を持っているが、本籍地は○次○、△一△共に豊見城村字我那覇●●番地になっている。

○○老、○次○翁といっても別に皮肉でも何でもない。○○老は7人の孫を持っているおヂイさんなのである。△一△君の母比嘉某さんは昭和7年3月5日(△一△9才)に○○家に婚姻届出をなし昭和8年3月25日に協議離婚となっている。現夫人 Letter さんは佐敷村字新里西村某氏の二女で昭和11年11月23日に○○家に入籍し、1男3女の母となっている。

○○君が17才で中学3年の頃にオトーさんになったことは、彼が同級生から「スーグワー」(オトーさんの意味)のニックネームで、呼ばれていたことを実証することになったので、キマリ悪くなって中退することになったのだろうと察せられる。然しむかしは中学生で結婚したり子供が出来たりしたことはザラにあった。

中学生頃の○○○次○少年は豊見城村字我那覇から通学していたので、町の学生との親交はなく、いつも片隅にひこんだヂヂムサイ、どちらかといえば少年らしい明るさにかけたスーグワーであった。琉球新報常務の長嶺彦昌君や立法院議長の長嶺秋夫君等と同級生であったが彼等はみな特別な記憶は持っていない。ようやく秋夫君からきいたのが、「スーグワー」のニックネームであるが、秋夫君は「○○君は数学が得意で、学校から賞品か賞状かをもらったことがあった」とも話していた。

○○君の父●九●さんはハワイ移民として○次○の学資を送っていたが、息子が七高を半途で放り出され、然も「××」だとわかってからは怒って学資を送らなかった。父●九●さんは昭和27年8月に亡くなったので長男○次○君が家督をついで戸主となった。

 

 

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