コザの街エレジー(6) タクシー

〇タクシー運転手C君(29)は今夜もまた3時すぎまで深夜の街を走り回った。C君は57年型のプリムスを持っている。勿論、金のないC君のものではなく、C君はやとわれ運転手だ。月給は6,000円、老母と妻と子供2人、C君を合せて5人家族だ。子供たちは4歳に2歳、妻は3年前まで働らいていた軍労務をやめて、今は家で子供2人の世話をみている。C君は働かねばならない。どんな不平や、苦しいことがあっても……。

今夜は夜勤だ。晩5時ごろから8時すぐまでに、航空隊の兵隊を部隊から十字路やセンター方向に3回乗せた。9時ごろにはコザから石川までの客を運んだ。米人と沖縄娘だバックミラーにうつる客の様子はみないことにしているが、耳まではふさげない。C君は考える「俺だって人間だ。少しぐらいは人目をはばかるべきだ。米兵も米兵なら、沖縄娘もまた同類だ。こんちきしょう」と。だが下りるとき、ゆっくり走らせて貰ったお礼だと200円だして、お釣りの70円はいいから〔君にと〕くれた。C君はそんなの貰いたくなかったが、それで子供にリンゴが買えると考えたらやっぱり嬉しかった。

悲しい雇れ運轉車 / 僅かなチップに苦労も消える

11時頃になると兵隊がそれぞれの部隊に帰るので、中部のタクシー運転手たちは、一番のかせぎ時だと張切る。1日の「ノルマ」を仕上げる為にこのやとわれ運転手たちは一生懸命だ。売り上げが少ないと主人にいやな顔をされるだけでなく、ひどいときには首が飛ぶ。自動車強盗があったと新聞に載っても「俺は大丈夫だよ」と妻や老母を安心させて仕事に出るが、暗がりや淋しいところを通るとき、後の客がどうもせんかと首筋のあたりを冷いものが走ることもあるという。

車賃を踏み倒されたことも再三でそういう晩は、床についてもくやしくて寝られないという、コザからズケランまで乗せた黒人兵がいた。ガードに話そうにも言葉が自由に話せない。バスはない。金を払わずどんどん部隊内に消えてゆく後姿を眺めて泣き泣き引返す。勿論、中には、そういうとき味方になって金を取ってくれる立派なガードもいるというが……。午前3時ごろあたりも静かになり、ただっぴろいアスファルトの上に野良犬の影が街灯に照らされるころ、C君は行きつけのレストランで夜食のオムライスを食べ、道端に駐車したタクシーにちぢこまって寝る。朝帰りの客を拾うのだ。朝の別れを惜しむ彼女が、早朝彼氏と連れ立って車の側まで送ってくる。すっかり米婦人になったつもりの沖縄娘たち、珍英語、米人のように振舞う沖縄ボーイ、二世のまねをして英語で話しかける軍作業のアンチャン、C君にはすべてがよい勉強になる。やっと朝帰りの客送りが済むと一応ひまになる。車の手入れ、点検、ガソリンの補給、相棒と交換して家に帰るとほっとする。事故はなかったかと心配して待っていた老母や妻に昨夜の出来事を語り乍ら妻の心づくしの味噌汁に舌つづみをうつ。子供たちがひざの上に上って来る。明日も明後日もハンドルをにぎってC君は生き抜く……。(山)(昭和32年9月19日付琉球新報夕刊03面)

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